
第一の災いナイル川の水が
血に変わる
血に変わる
第一の災い(血の災い)とは
神がモーセを通じて、エジプトの王ファラオに示した最初の裁きが、「水が血に変わる災い」です。これは、イスラエルの民を解放せよという神の要求を拒み続けたファラオに対する、明確な警告でもありました。
モーセの兄アロンが手にした杖でナイル川の水面を打つと、水は赤褐色の血のように変わり、川の魚は死に、強い悪臭を放つようになります。ナイル川は飲料水・農業・交通のすべてを支える存在であり、その汚染はエジプト社会の根幹を揺るがす出来事でした。
しかしファラオの前に仕えた王室の魔術師たちも、負けじと、秘術によって同様の現象を起こしてみせます。そのため、事態は収束するどころか、災いは増長。エジプトの人々は飲み水を失い、混乱は拡大しました。
人々はやむなく地下水を求め、ナイル川の周辺を掘り始めます。それほどまでに、この災いは日常生活に深刻な影響を与えたのです。
それでもファラオの心は、なおも頑な(かたくな)なままでした。彼はこの出来事を神の警告として受け止めず、イスラエル民族解放の要求を退け続けます。こうして、さらなる災いへと物語は進んでいくことになります。
主はさらにモーセに言われた。「アロンに告げなさい。『杖を取り、エジプトのあらゆる水の上――川、水路、池、水たまりに向かって手を伸ばし、それらを血に変えなさい。そうすれば、エジプト全土の水は血となり、木や石の器に入った水までも血に変わるであろう』と。」
モーセとアロンは、主が命じられたとおりに行った。アロンは杖を振り上げ、ファラオとその家臣たちの前でナイル川の水を打った。すると川の水はすべて血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ったため、エジプト人はナイル川の水を飲むことができなくなった。こうして、エジプトの国中が血に覆われた。
しかし、エジプトの魔術師たちも秘術を用いて同じことを行った。そのため、ファラオの心はますますかたくなになり、モーセとアロンの言葉に耳を傾けなかった。これは主があらかじめ告げておられたとおりであった。
ファラオは王宮に引き返し、この出来事を深く心に留めようとしなかった。一方、エジプトの人々は飲み水を求めて、ナイル川の周囲を掘り始めた。ナイルの水が飲めなくなってしまったからである。
ハピ/HapiThe god of the Nile

古代エジプトにおいて、ハピはナイル川の氾濫を司り、豊穣と生命をもたらす神として崇拝されていました。彼はあごひげを生やし、女性的な胸を持つ男性として描かれることが多く、その姿は大地の実りと水の恵みを象徴しています。
毎年の氾濫は農耕文明を支える祝福であり、人々はハピに供物を捧げ、感謝と祈りをささげてきました。そのナイルの水が血に変わるという出来事は、単なる自然災害ではなく、エジプト人にとっては信仰そのものを揺るがす衝撃的な出来事だったと考えられます。
「血の災い」は、イスラエルの神がエジプトの守護神ハピを打ち破った象徴的な出来事であり、唯一神の力を示す序章として位置づけられています。
ナイルの水は「本当に血に変わった」のか~現代的視点から読み解く「血の災い」
象徴としての「血」― 生命の源が死に変わるとき
聖書に記される「ナイルの水が血に変わる」という表現は、はたして文字どおり、物理的に血液へと変化したことを意味しているのでしょうか。現代の読者にとって、まず浮かぶ疑問かもしれません。
古代世界において「血」は、単なる物質ではなく、生命・命・存在そのものを象徴する極めて重要な概念でした。そのため、「水が血に変わる」という表現は、必ずしも化学的変化だけを指しているとは限らないのです。
ナイル川は、エジプト文明にとってまさに「命の源」でした。その水が血に変わるという描写は、「命を支えるものが、命を奪うものへと反転した」という象徴的逆転を示していると読むことができます。祝福であったナイルが呪いへと変わる。この一点だけでも、ファラオと民にとっては耐えがたい衝撃だったでしょう。
自然現象説 ― 赤く染まるナイルの可能性
一方、現代の研究者の中には、この災いを「自然現象の記憶が、後に神学的物語として整理されたもの」と捉える立場もあります。実際、ナイル川が赤く染まる現象は、理論上まったく不可能とは言えません。
代表的に挙げられる説には、次のようなものがあります。
- 赤色藻類(シアノバクテリア等)の大量発生
水中の微生物が異常繁殖すると、水が赤褐色に変色し、同時に魚の大量死や悪臭を引き起こすことがあります。
- 上流域の土砂流入説
氾濫や豪雨によって、鉄分を多く含む赤土が大量に流れ込み、川全体が血のような色に見えた可能性です。
- 水質汚染による連鎖災害
「水の異変 → 魚の死 → 悪臭 → 飲料水の欠乏」という一連の流れは、環境災害の連鎖として非常に現実的なシナリオと言えます。
これらの説はいずれも、「水が飲めなくなった」「魚が死んだ」「悪臭が広がった」という聖書の描写と、驚くほどよく一致しています。
それでも残る「神学的意味」
ただし重要なのは、聖書が単なる自然災害の記録ではないという点です。出エジプト記は、この出来事を「いつ・どこで・なぜ起きたのか」という問いとともに、明確に神の意思と結びつけて描いています。
仮に自然現象であったとしても、それがモーセの宣告どおりに起こり、ファラオの権威と信仰を直撃し、イスラエルの民の解放という物語の起点となった。この点において、この出来事は古くから「神の裁き」として理解されてきました。
信仰と科学は対立するものではない
現代的な視点に立てば、科学は「どのように起きたのか」を探り、信仰は「なぜそれが起こったのか」を問いかけるものだと言えるでしょう。両者は対立するものではなく、異なる次元から同じ出来事を見つめているのです。
「血の災い」は、自然現象として説明可能でありながら、同時に深い象徴性をもつ出来事として、今なお読み継がれています。
それは単なる奇跡譚ではありません。「人が拠り所としていたものが崩れるとき、人は何を信じるのか」。この問いは、古代エジプトだけでなく、現代を生きる私たちにも静かに投げかけられているのかもしれません。
ナイルの水が血に変わるお話

📖 このお話に出てくる人たち
- モーセ 神さまの言葉を人びとに伝える役目をもった人です。
- アロン モーセのお兄さんで、モーセを助けました。
- ファラオ エジプトの王さまで、国を治めていました。
🌊 ナイル川とエジプトのくらし
むかしのエジプトでは、ナイル川がなければ生きていけませんでした。水を飲み、畑をうるおし、魚をとり、人びとのくらしはすべてナイル川にささえられていました。だからナイル川は、「いのちを育てる川」だったのです。
🪄 モーセとアロンの行動
神さまはモーセに、 「イスラエルの人びとを自由にしなさい」 と命じました。
モーセとアロンは、その言葉をファラオに伝えましたが、 ファラオは 「だめだ。出ていってはならない」 と言って、聞き入れませんでした。
」 そこで神さまは、 アロンが杖(つえ)を使って、ナイルの水を打つように 命じたのです。
🔴 ナイルの水が使えなくなる
すると、ナイル川の水は赤くなり、 魚は死に、においもひどくなりました。 人びとは、その水を飲むことができません。
聖書では、このできごとを 「ナイルの水が血に変わった」 と表しています。
それは、 いのちをくれていた川が、くらしを苦しめるものに変わった という、とても大きなできごとでした。
👑 それでも聞かなかったファラオ
ファラオは、このできごとを見ても、 モーセとアロンの言葉を聞こうとしませんでした。 王さまは強い力を持っていましたが、 まちがいを認めることができなかった のです。
こうして、さらに次の災いへとお話は進んでいきます。
🔴「血に変わる」って、どういうこと?
聖書には「ナイルの水が血に変わった」と書かれています。
これを読むと、「えっ、本当に血になったの?」とびっくりしますよね。でも、昔の人たちは、今の私たちとは少しちがう言い方で物事を表していました。その中で「血」という言葉は、いのちそのものを表す、とても大切な言葉だったのです。
🌊 ナイル川は、エジプトの「いのちの川」
ナイル川は、エジプトの人たちにとって、
- 水を飲むため
- 畑を作るため
- 魚をとるため
になくてはならない川でした。だからナイル川は「いのちを育てる川」だったのです。その水が使えなくなった、魚が死んでしまった ― それは、「いのちをくれる川が、いのちをうばう川になってしまった」という、とてもこわい出来事でした。
🔬 もしかしたら、自然の出来事だったのかも?
今の時代の人たちは、こんなふうにも考えています。
- 水の中に赤い色の小さな生き物がたくさん増えた
- 土がたくさん流れて、水が赤く見えた
- 水がよごれて、魚が死んでしまった
もしそうだとすると、水は赤くなり、においもひどくなり、
とても飲めるものではなかったはずです。
これは、聖書に書いてあることと、よく合っています。
✨ それでも大切にされてきた理由
でも、聖書が伝えたかったのは、 「どうやって赤くなったか」だけではありません。
- その出来事が、モーセの言ったとおりに起こったこと
- 王さま(ファラオ)が大切にしていたものが、こわれたこと
- 人を苦しめるやり方は、いつまでも続かないこと
こうしたことを伝えるために、このお話は大切に語りつがれてきました。
🌈 しんこうと かがくは けんかしない
かがくは「どうして起きたの?」を考えます。
しんこうは「なぜ、この出来事が大切なの?」を考えます。
ちがう見方だけれど、どちらも、人が生きることを考える大事なヒントをくれています。
ナイルの水が血に変わるお話は、
「当たり前だと思っていたものが、急に使えなくなったらどうする?」
そんなことを、今の私たちにも考えさせてくれるお話のようです。
旧約聖書 出エジプト記 第7章19〜24節