イエスの伝道摂理

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イエスの伝道摂理

神による人類救援の摂理は、アダムの堕落直後から行われてきました。神の人類救援の摂理は、神が選んだ人物や民族を基盤に進められています。アダムの家庭のアベルとカイン、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ…そして、イスラエル民族(ユダヤ民族)が神の選民として、摂理が進められました。

救世主として、イエスが送られたときには、まずは、神の選民であるユダヤ民族を救援し、カナンの地(パレスチナ)に地上天国(神の国)を建設する摂理となっていました。


本来のイエスの伝道

イエスが活動した時代は、ユダヤ民族の指導者は、司祭や律法学者でした。司祭や律法学者は、民衆から厚い信頼が寄せられており、彼らは、先に立って多数のユダヤ人を指導できる立場にありました。そのため、イエスが最初に福音を伝えるべき人たちは、司祭や律法学者たちでした。

司祭や律法学者がイエスの教えを信じれば、彼らは先に立って、イエスの教えをもとに、ユダヤ民族を指導するようになります。そして、上流階級から中流階級、さらには、聖書を読んだこともないような下流階級まで順次伝わっていくという摂理でした。いわば「トップダウン」的な摂理です。そして、ユダヤ民族に基盤ができれば、次は国家レベルへ、すなわち、世界の中心であったローマ帝国に福音が伝わり、さらには、ローマ帝国から世界レベルで人類救援の摂理が進むはずでした。


次なるイエスの伝道

しかしながら、司祭や律法学者は、みなイエスに逆らい、イエスを受け入れませんでした。イエスは仕方なく、ガリラヤ湖畔からサマリヤの地を巡り歩きながら、福音を受ける者を探し求められました。そして、律法とは無縁とも言える漁師や卑しい職業とされていた徴税人、娼婦、反ローマの過激派などがイエスのみ言(福音)を受けることになりました。伝道の摂理は、いわば「ボトムアップ」的に進められるようになりました。

「聖マタイの召喚」<br />ジョバンニ・パオロ・パンニーニ(1752年製作)<br />ボルディ・ペッツォーリ美術館(イタリア)

「聖マタイの召喚」
ジョバンニ・パオロ・パンニーニ(1752年製作)
ボルディ・ペッツォーリ美術館(イタリア)

マタイによる福音書に例え話で記録されているように「王(=神を象徴)」が「王子(=イエスを象徴)」の婚宴のために招いた人々は参加せず。町で見かけた者は誰でも招く摂理に変わったのです。

イエスは、また、たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』

新約聖書/マタイによる福音書22章1節~9節(新共同訳)

DIVINE PRINCIPLE▼

また、イエスの再臨に関する知らせも、因習的な信仰態度を固守している今日のキリスト教指導者たちよりは、むしろ平信徒たち、あるいは、彼らが異邦人として取り扱っている異教徒たち、そして、良心的に生きる未信者たちにまず啓示されるであろう。そして、初臨のときにイエスの福音を受け入れた人たちが、選民であったユダヤ教の指導者ではなく、賤民や異邦人であったように、イエスの再臨のときにも、選民であるキリスト教の指導者層よりも、むしろ平信徒、あるいは、非キリスト教徒たちが、まず彼のみ言を受け入れるようになるであろう。イエスが用意された婚宴に参席し得る人々が、前もって招待されていた客たちではなく、町の大通りで出会い、すぐに連れてこられる人々であるだろう、と嘆かれた理由は実にここにあったのである(マタイ二二・8〜10)

原理講論「再臨論」より抜粋


イエスの復活後

結局、イエスは、祭司長や律法学者たちにより、十字架で殺害されてしまいました。その後、イエスは3日目に復活し、弟子たちに説教をし、復活の40日後に昇天しました。そして、弟子たちは本気でイエスを信じるようになり、イエスの教え「福音」を伝える「使徒」として、命がけで布教活動を行いました。島流しになったヨハネを除いた11弟子は、逆さ十字架や生皮を剥がされるなど、残酷な仕打ちを受け、殉教したと伝えれています。

しかし、その後、12使徒たちも予想しなかった形で事態は急展開しました。313年、長年、キリスト教徒を迫害してきたローマ帝国が方針を転換し、キリスト教を認めたのです(※)。そして、392年には、ローマ皇帝(テオドシウス)により、キリスト教がローマ帝国の国教となりました。そして、ローマ帝国が滅びた後もキリスト教は衰えることなく発展を続けます。現在、ヨーロッパの国々がキリスト教国であるのは、ローマ帝国がキリスト教国になったためですし、今や世界各地でキリスト教が信仰されています。

初期のキリスト教は、ローマで迫害を受けながら、多大なる犠牲を払いましたが、ボトムアップ的な摂理は成功したようです。

※ローマ皇帝コンスタンチヌスによるミラノ勅令



〔参考・引用〕
日本聖書教会「新約聖書(新共同訳/口語訳)」/新日本聖書刊行会「新改訳聖書第三版」/世界基督教統一神霊協会「原理講論」/NHK高校講座「世界史/ローマ帝国」