聖書と歴史の学習館

下層民から始まったイエスの伝道摂理

The Calling of Saint Matthew
Giovanni Paolo Panini 1752
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国家基盤のない中での降臨

前15世紀頃、イスラエル選民は、エジプトで苦役を受けていた。約束された400年間の時が満ち、神はそこにモーセを遣わし、民をエジプトから解放した。民は、約束の地カナンに王国を建設した。王国は繁栄の一途をたどり、ソロモン王の時代には栄華を極めた。しかし、このときの王国は、神の国の雛形のようなものであり、喩えるなら、アダムの鼻に神の命の息が吹き入れられていない状態であった。将来、王国に王の王としてメシヤが遣わされ、神の命の息が吹き入れられ、本然の神の国となる摂理となっていた。

しかし、三代目の王ソロモンの不信仰により、繁栄にブレーキがかかった。ソロモン死後、すぐさま王国は分裂し、滅ぼされてしまった。その後、民族は、離散したり、他国の捕虜となったりした。この頃からイスラエル民族はユダヤ民族と呼ばれるようになった。

約50年後、捕虜となっていたユダヤ民族は解放され、カナンへの帰還して、メシヤを迎えるための神殿を再興した。しかし、かつての王国のような繁栄には至らず、メシヤを迎えたときには、ローマの一属州に過ぎなかった。

イエスは、国家の基盤のないまま、人類救援の摂理を進めざるを得なかった。

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本来のイエスの伝道

イエスの時代、司祭や律法学者(特にファリサイ派)は、エリートであり、上層民であった。民衆から厚い信頼が寄せられており、ユダヤ民族の指導的立場にあった。そのため、イエスが最初に福音を伝えたかったのは、司祭や律法学者だった。

イエスの使命は、神の選民(ユダヤ民族)に福音を宣べ伝え、堕落した人類を救い、神の国(地上天国)を建設することであった。そのため、ただ従ってくるだけの千人よりも、先に立って千人を指導できる一人の指導者の方が必要だった。

まずは、イエスの教え(福音)を司祭や律法学者が受け入れ、彼らを通して、ユダヤ民族に宣べ伝える摂理になっていた。いわば「トップダウン」的な摂理であり、まずは上層民がイエスを受け入れ、その後、中層民、さらには、聖書を読んだこともないような下層民に教えが広がっていくはずであった。

そして、ユダヤ民族に基盤をつくり、神の国を建国し、拡大・発展させ、世界の中心であったローマを融合し、世界レベルで人類救援の摂理が進む計画になっていた。

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イエスの伝道摂理は下層階級から始まった

しかし、司祭や律法学者は、みなイエスに逆らい、受け入れなかった。イエスは仕方なく、ガリラヤ湖畔からサマリヤの地を巡り歩きながら、福音を受ける者を探し求めた。そして、律法とは無縁ともいえる漁師や卑しい職業とされていた徴税人、娼婦、反ローマの過激派など、いわば「下層民」が福音を受けることになった。摂理は、下層民から上層民へ「ボトムアップ」的に進められるようになった。

マタイによる福音書には、「王(=神を象徴)」が「王子(=イエスを象徴)」の婚宴のために招いた人々は参加せず、町で見かけた者は誰でも招く摂理に変わったことが、喩え話で記述されている。

Divine Principle ▼
Divine Principle

祭司長や律法学者たちは、神の選民を指導すべき使命を担っているのであるから、メシヤが来られたということをだれよりも先に知り、率先してその選民を、メシヤの前に導かねばならなかったはずである。イエスは、彼らがこの使命を完遂することを期待されたので、まず、神殿を訪ねて、だれよりも先に彼らに福音を伝えられたのであった。しかし、彼らが受け入れなかったので、やむなくガリラヤの海辺をさまよわれながら、漁夫をもって弟子とされたのであり、そしてまた、主に罪人や取税人、そして遊女らの卑しい人々と応接するようになったのであった。そしてついに、祭司長や律法学者たちが、イエスを殺害するまでにことが至ったのである。

©世界平和統一家庭連合/原理講論
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イエスは、また、たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』

マタイによる福音書22章1節~9節
©日本聖書教会/新約聖書
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イエスの復活後

結局、イエスは、司祭や律法学者たちにより、十字架で処刑されてしまった。その後、イエスは3日目に復活し、弟子たちに説教をし、復活の40日後に昇天。その後、弟子たちは本気でイエスを信じるようになり、イエスの教え「福音」を伝える「使徒」として、命がけで布教活動を行なった。島流しになったヨハネを除いた11弟子は、逆さ十字架や生皮を剥がされるなど、残酷な仕打ちを受け、殉教したと伝えられている。

その後、事態は急展開した。313年、長年、キリスト教徒を迫害してきたローマ帝国が方針を転換し、キリスト教を認めた(ローマ皇帝コンスタンチヌスによるミラノ勅令)。そして、392年には、ローマ皇帝(テオドシウス)により、キリスト教がローマ帝国の国教となった。そして、ローマ帝国が滅びた後もキリスト教は衰えることなく発展を続けた。

地中海世界の全域を支配する世界帝国までになったローマ帝国がキリスト教国となり、今度はトップダウン的に国家レベルでキリスト教が伝わった。そして現在は、ヨーロッパ諸国だけでなく、アメリカをはじめ、世界の国々がキリスト教国家となっている。

初期のキリスト教徒は、ローマで迫害を受けながら、多大なる犠牲を払ったが、イエスが始めたボトムアップ的な摂理は、400年間の紆余曲折の末、ようやく成功した。

Divine Principle

また、イエスの再臨に関する知らせも、因習的な信仰態度を固守している今日のキリスト教指導者たちよりは、むしろ平信徒たち、あるいは、彼らが異邦人として取り扱っている異教徒たち、そして、良心的に生きる未信者たちにまず啓示されるであろう。そして、初臨のときにイエスの福音を受け入れた人たちが、選民であったユダヤ教の指導者ではなく、賤民や異邦人であったように、イエスの再臨のときにも、選民であるキリスト教の指導者層よりも、むしろ平信徒、あるいは、非キリスト教徒たちが、まず彼のみ言を受け入れるようになるであろう。イエスが用意された婚宴に参席し得る人々が、前もって招待されていた客たちではなく、町の大通りで出会い、すぐに連れてこられる人々であるだろう、と嘆かれた理由は実にここにあったのである(マタイ二二・8〜10)

©世界平和統一家庭連合/原理講論
〔出典・参考〕
日本聖書教会「新約聖書(新共同訳/口語訳)」/新日本聖書刊行会「新改訳聖書第三版」/世界平和統一家庭連合「原理講論」/NHK高校講座「世界史 ローマ帝国」