
タダイ忘れられた聖人
聖ユダ・タダイ ホセ・デ・リベーラ
プラド美術館(Madrid, スペイン)
タダイ(Thaddaeus)は、イエス・キリストの12使徒の一人であり、別名をユダ・タダイ(Jude Thaddaeus)、あるいは聖ユダ(St. Jude)とも呼ばれています。その名が「裏切り者ユダ」として知られるイスカリオテのユダと重なることから、長らく混同を避けられ、キリスト教世界では“忘れられた聖人”とも称される存在です。
三つの名を持つ使徒
新約聖書では、タダイは『マタイ』と『マルコ』に「タダイ」として登場する一方、『ルカ』や『使徒行伝』では「ヤコブの子ユダ」として記されています。また「レバイ」や「レバイオス」とも呼ばれていたことから、タダイには少なくとも3つの別名があったとされています。
このような複数の名前があるのは、イスカリオテのユダと同一人物だと誤解されることを避けるためであると考えられています。実際、ヨハネによる福音書14章22節には、「イスカリオテでないユダ」がイエスに質問する場面があり、彼の存在が区別されていたことが分かります。
伝道と奇跡、そして聖骸布の伝説
教会史家エウセビオスによると、タダイはイエスが最初の奇跡(水をぶどう酒に変えた)を行った「カナの婚礼」の新郎であった可能性があるとされます。また、イエスの死後には、故郷の小アジア(現在のトルコ)にある都市エデッサを訪れ、当時の王・アブガル5世の病(麻痺)を癒したという伝説も残っています。
この癒しの際、タダイはイエスの顔が映った布、いわゆる「聖骸布(マンディリオン)」を携えていたとされ、その布は後にエデッサの城壁に封印されたと伝えられています。この布は後世に「トリノの聖骸布」と結びつけられることもあります。
宣教と殉教
タダイはシモンと共にペルシア(現在のイラン周辺)で宣教活動を行い、キリスト教の布教に尽力したとされています。最期は斧によって殉教し、信仰のために命を捧げました。彼の遺体はローマに運ばれ、現在のバチカン・サンピエトロ大聖堂の下に葬られているといわれています。
ユダの手紙の著者としてのタダイ
新約聖書の一書である『ユダの手紙』は、その著者が「イエスの兄弟ユダ」であるとされる一方で、伝統的にはタダイが書いたとも言われています。ただし、今日ではこの手紙が後世に偽名で書かれた可能性が高いとする学説が有力です。
聖ユダへの信仰と復権
長い間、イスカリオテのユダと混同されることから聖ユダ(タダイ)への信仰は敬遠されていましたが、近年では「絶望的な状況の守護聖人」として再評価されています。絶望的な状況にある人々が、最後の望みを託して彼に祈りを捧げるようになったのです。
タダイの象徴と記念日
- 別名:ユダ・タダイ、ヤコブの子ユダ、レバイ、聖ユダ
- 象徴:斧(殉教の方法)、棍棒、聖骸布
- 記念日:10月28日(カトリック)、6月19日(正教会)
タダイ(聖ユダ)は、表立った活躍は少ないものの、イエスの教えを忠実に広め、信仰のために命を落とした静かな英雄ともいえる存在です。彼の名が忘れ去られていた時代を超え、今では多くの人々に希望と励ましを与える存在となっています。
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