
マティア神に選ばれたユダの後任者
プラド美術館/スペイン
マティア――それは、裏切りの末に命を落としたユダの代わりに神に選ばれた“第12使徒”の名です。新約聖書にその名がわずかに登場するのみの彼は、どのような人物だったのか? くじ引きによって選出されたという意外な経緯や、後に語り継がれた奇跡、そして殉教の物語とは? この記事では、信仰と伝承の中に息づくマティアの姿に迫ります。
神に選ばれた“第12使徒” - マティアとは誰か?
マティアは、イエス・キリストの12使徒のひとりとして知られる人物ですが、その名前は新約聖書の中でも一度しか登場せず、多くは伝承によって語り継がれています。彼は、イスカリオテのユダが裏切りの末に命を絶ったあと、その欠員を補うために選ばれた、いわば「12番目の使徒」です。
古代の伝承「トリーアの伝承(※)」によれば、マティアはユダ族出身で、ベツレヘムの高貴な家柄に生まれ、律法や預言書に精通した知識人でした。また、人々からは徳の高い人物としても尊敬されていたと伝えられています。
※トリーア…ドイツ南西部、ルクセンブルク国境に近いモーゼル川畔に位置するドイツ最古の都市。古典古代の歴史的建造物や美術工芸品が豊かな場所としても有名。
くじによって選ばれた使徒 - 神の意志を仰いだ選考会
イエスの12番目の弟子(使徒)であったイスカリオテのユダはイエスを裏切り、後悔のあまり自殺をしてしまいました。12弟子の欠員を補充(※)するため、使徒のリーダ的存在だったペテロは、使徒選考の会議を開きました。
※使徒(弟子)が11人ではなく、12人でなければならない理由は、使徒たちがイスラエルの12部族になぞられているためです。
会議の参加者は、11人の使徒に加え、婦人たちやイエスの母マリアを含む約120人。会議で主導をとったペテロは、「主の復活の証人となるためには、イエスの公生涯(洗礼者ヨハネによる洗礼から昇天まで)を共に過ごした者でなければならない」と提案。そして候補として挙げられたのが、ユスト・バルサバとマティアの2名です。
そして、ペトロが候補者2人について祈ります。「すべての人の心をご存知である主よ、この2人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としての任務を継がせるためです。」
最終的な判断は、「人間ではなく神が決めるもの」とされ、くじが用いられました。これは当時のユダヤ教・キリスト教において、くじの結果も神の導きとみなされていたためです。こうして、マティアが神の意志により選ばれ、12使徒の一員となったのです。
くじ引きは「神の意志」を知る手段だった
現代では、くじ引きというと「偶然」や「運まかせ」といった軽いイメージを抱く人も多いかもしれません。しかし、ユダヤ教や初期キリスト教においては、物事のすべては神の計画のもとにあるとされ、「偶然」は存在しないと考えられていました。
そのため、使徒選考会で最終的にくじが用いられたのは、「神がどちらを選ぶか」を委ねるための、真剣で信仰に基づいた判断方法だったのです。実際に、120人もの弟子たちが集まった中で、最後はくじによりマティアが選ばれたという記録は、使徒たちの深い信仰と神への信頼を象徴するエピソードといえるでしょう。
ちなみに、旧約聖書に登場するイスラエル王国の初代王・サウルもまた、くじによって選ばれたと伝えられています。神の意志を求める手段として、くじ引きは当時の信仰生活において重要な役割を担っていたのです。
神が選びし十二番目の使徒
そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。
そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」
二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。
©日本聖書教会「新約聖書」
マティアにまつわる奇跡と伝承
聖書にはマティアのその後の活動は詳しく記されていませんが、さまざまな伝承が彼の活躍と奇跡を伝えています。
あるとき、マティアはギリシア北部のマケドニアでの宣教中、敵対者から毒入りの杯を渡されます。しかし、彼はキリストの名を唱えながらそれを飲み、害を受けることはありませんでした。さらに、その毒杯を飲んで盲目になった250人の目を、按手(祈りと手を置く儀式)によって癒したとも言われています。
また、投獄された際には、牢の中にイエスが現れ、マティアを解放。その後、異教徒に対して神の言葉を語ったところ、マティアの言葉を無視して偽の神を信じた者たちが、地面に裂け目が生じて飲み込まれてしまいました。これを目の当たりにした人々はキリスト教を信じるようになったという伝説も残っています。
殉教と遺骨の行方
マティアの最後は、悲劇的ながら信仰に殉じた姿として語られます。伝承によれば、彼はユダヤ各地で熱心に布教活動を行い、最終的に議会で裁かれ、石打ちの刑を受けた後、ローマ式に斧で斬首され殉教しました。
死に際して、偽証者によって投げられた石を「証拠」として墓穴に納めるように頼んだという逸話もあります。マティアの遺骨はのちにローマに運ばれ、さらにドイツ最古の都市トリーアに移されたとされています。

墓の上の聖マティアの像/ザンクト・マティアス修道院
ドイツ・トリーアの西部
信仰の象徴としてのマティア
マティアの選出とその後の人生は、「人の選びではなく、神の選び」という信仰の中心的な価値観を象徴しています。くじという偶然に見える手段であっても、そこに込められたのは人間の信頼と神へのゆだねでした。マティアはその象徴として、今も多くのキリスト教徒にとって特別な存在であり続けています。
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