聖書と歴史の学習館

ローマ帝国による
キリスト教徒の迫害

イエスが処刑され、ペンテコステの日から爆発的な宣教活動が始まった。特に、パウロの3回に及ぶ伝道旅行の成果は大きく、地中海沿岸からローマへいたる地域への布教が行われた。しかし、地中海地域へのキリスト教の拡大とともに、弾圧も強まっていった。

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皇帝ネロの時代の迫害

ローマ皇帝ネロ(在位:56~68年)は、キリスト教徒を迫害した暴君として知られ、悪名が高い。

彼は、64年にローマで起きた大きな火事の原因をキリスト教徒による放火と断定。キリスト教徒たちを逮捕し、虐殺した。この中には、キリスト教最大の伝道者といわれるパウロも含まれており、65年に斬首され殉教したと伝えられている。

このときから、ローマ帝国による長いキリスト教迫害の歴史が始まった。

Nero's Torches(Christian Candlesticks)
蝋燭にされるキリスト教徒
Henryk Siemiradzki 1876年製作
National Museum,Kraków ポーランド

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ディオクレティアヌスによる迫害

それでも皇帝ネロの時代は、まだ単発的で部分的な迫害であった。迫害が狂暴化し、頻繁に行われるようになったのは、3世紀後半、ディオクレティアヌスの時代だ。

303年、皇帝ディオクレティアヌス(在位:284年~305年)は、ローマ帝国に反抗的なキリスト教徒の増加に危惧を抱き、勅令を発した。その内容は、キリスト教の会合の禁止、会堂(教会)の破壊、聖書の焼き捨て、聖職者全員の逮捕などであった。勅令を拒否するキリスト教徒は財産を没収され、投獄された。さらに、改宗を強要し、異教の神に犠牲を捧げることまで命じた。

当時どの監獄もキリスト教指導者と信徒であふれ、他の犯罪者を収容する場がないほどだった。そこで、逮捕したキリスト教徒は、コロッセオで火あぶりや猛獣による死刑が行われ、人々の見せしめにされた。男女問わず行われ、数千人のキリスト教徒が処刑された。一時は、キリスト教存続の危機に陥ったといわれている。

※ディオクレイティアヌス帝の迫害は、ローマ帝国によるキリスト教徒への「最後の迫害」といわれる。

The Christian Martyrs' Last Prayer/キリスト教殉教者の最後の祈り
ジャン=レオン・ジェローム 1863-1883年製作
ウォルターズ美術館米国 メリーランド州

Christian Dirce/Henryk Siemiradzki
ワルシャワ国立美術館 ポーランド

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キリスト教徒が迫害された理由

キリスト教徒がローマ帝国から迫害された理由は、信徒らの行動が当時の人々の常識では理解できず、怪しげな集団に見えたからだ。具体的には次の内容が挙げられる。

  • 当時のローマの宗教は多神教であり、ローマ皇帝も神として崇められていたが、一神教のキリスト教徒は、皇帝を神と認めなかったため。
  • 神の前での平等を主張するキリスト教が貴族階級から嫌われたため。
  • 当時のローマの人々が目に見える像を拝んでいた中で、キリスト教徒は目に見える礼拝の対象をもたず、無神論と非難されたため。
  • 信徒がこそこそと集まってミサ(礼拝)を行っていることが、秘密会議をしていると誤解されたため。
  • 信徒間の平和の接吻が近親相姦と誤解されたため。
  • パンとぶどう酒を食する聖餐式(せいさんしき)を、イエスが「これは私の肉、私の血である」と言ったことから人肉を食べていると噂が流れたため。
  • キリスト教徒の増大に、皇帝が危惧を抱いたため。
  • ローマ建国千年目に当たっていた当時は、一種の終末観が支配的となっており、天災等の続出の原因を、異国の神を信仰しているキリスト教徒が存在しているとされたため。
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カタコンベによる活動と迫害の終焉

キリスト教徒は困難な状況下でも、根絶することはなかった。その理由の一つとして、「カタコンベ」といわれる広大な地下墓地の存在が挙げられる。キリスト教徒は、ローマ皇帝の迫害を逃れるため、殉教者たちを葬る「カタコンベ」にこもって信仰を守り続け、キリスト教を維持・拡大させていった。

今でもローマ周辺に約60カ所のカタコンベが残されており、約500~600万人のキリスト教徒が眠っているといわれている。

サン・カッリストのカタコンベ(横穴に遺体を埋葬)

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迫害の終焉

4世紀初頭、迫害を受けながらもキリスト教はますます広がり、ローマ帝国にとって、無視できない存在となっていた。そして、ついに313年、皇帝コンスタンチヌスにより、キリスト教が公認された(ミラノ勅令)。ここに、ローマ帝国によるキリスト教迫害の時代が終焉した。

さらに392年、テオドシウス一世は、キリスト教以外の宗教を禁じた。これは、キリスト教がローマ帝国の国教となったことを意味する。

Column

聖霊降臨祭ペンテコステ

イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという新約聖書のエピソード「聖霊降臨」を記念するキリスト教の祝祭日。 クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祭の一つとなっている。教派により訳語は異なり、「五旬祭」などとも呼ぶ。

〔出典・参考〕
梅本憲二「日本と世界のやさしいキリスト教史」/テレビ東京「137億年の物語」/Wikimedia Commons