パウロ キリスト教最大の伝道者

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パウロ - キリスト教最大の伝道者

パウロ

パウロは、最初はサウロと呼ばれ、キリスト教徒を徹底的に迫害していました。しかし、イエスの声を聞いたことをきっかけに劇的に回心(改宗)しました。その後、迫害を受けながらも、布教の最前線に立って活躍し、キリスト教最大の伝道者と言われるまでになりました。紀元65年頃、皇帝ネロに処刑されて殉教しました。

聖パウロ

聖パウロ


キリスト教徒を迫害していたパウロ

サウロ(のちにパウロ)は、ステファノを石打ちの刑にすることに賛同していた若者です。小アジア(※1)のタルソスで、裕福な家庭に生まれ育ったサウロは、エルサレムでファリサイ派(※2)の学校で学んだ(※3)ユダヤ教徒でした。

そのため、ファリサイ派とは異なるイエスの教えを信じる人たちを異端者とみなし、撲滅しようと、日々奔走していました。

※1:アジアの西端部にあり地中海と黒海に挟まれた半島で、トルコ共和国の主要部を占める地域となっています。古代ギリシア人はアナトリアと呼んでいました。

※2:ファリサイ派は、ユダヤ教グループの一つです。ユダヤ教の律法(戒律)を厳格に解釈し、それを全力で実践しようとした人々のグループです。ファリサイ派はユダヤ教のエリートグループで、当時のユダヤ人を指導していました。

※3:サウロは、エルサレムのラビ(=先生)、ガマリエルのもとで教育を受けました。

サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。
-エルサレムの教会に対する迫害-
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。
しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。
一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。

新約聖書/使徒言行録8章1節~3節(新共同訳)

さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げエルサレムに連行するためであった。

新約聖書/使徒言行録9章1節~2節(新共同訳)


イエスに出会ったサウロ

ステファノが石打ちの刑で殉教した翌年(紀元38年頃)、サウロはシリアのダマスコ(※)のキリスト教徒を逮捕するため、ダマスコに向かっていました。ダマスコでキリスト教徒を見つけたら、男だろうが女だろうが、縛り上げ、エルサレムに連行するつもりでした。

Conversion of Saint Paul Michelangelo Buonarroti(1542年製作)<br />Web Gallery of Art 

Conversion of Saint Paul Michelangelo Buonarroti(1542年製作)
Web Gallery of Art 

しかし、サウロがダマスコの近くまで来た時、突然、サウロに天の光が降り注ぎました。そして、まばゆい目がくらむような光の中に現れたのは、パウロの大敵であるイエスでした。

イエスはなぜ自分を迫害するのかをサウロに尋ねました。そしてダマスコに行って次の指示を待つよう告げました。イエスが立ち去ると、サウロは自分の目が見えなくなっていることに気づきました。そして、同行者に手を引かれて町に入りましたが、3日間飲み食いすらできませんでした。

※ダマスコ:現在のシリアの首都ダマスカス

サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。

新約聖書/使徒言行録9章3節~9節(新共同訳)


サウロの回心

3日後、ダマスコのキリスト教徒アナニアは、神の命令に従い、不本意ながらもパウロの目を治しました。この経験によってパウロは回心し、イエスはメシアであり神の子であると信じるようになりました。

目が見えるようになったサウロは、その場でアナニアより洗礼を受け、ダマスコに滞在しました。そして、数日後にはダマスコの会堂で「イエスこそ神の子である」と人々にイエスのことを説きました。サウロはイエスに出会ったことで、キリスト教徒を迫害する立場から劇的に回心し、熱き信者として生まれ変わったのです。

Ananias restoring the sight of Saint Paul <br /> Pietro De Cortana(1631年製作)

Ananias restoring the sight of Saint Paul 
 Pietro De Cortana(1631年製作)

ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」

新約聖書/使徒言行録9章10節~16節(新共同訳)

そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。
そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。サウロ、ダマスコで福音を告げ知らせるサウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。

新約聖書/使徒言行録9章17節~20節(新共同訳)


サウロの精力的な伝道活動

キリスト教を迫害していたパウロの回心に驚く人も多くいました。それでもサウロは、イエスの正しさを伝え歩き続けました。サウロの豹変した行動は、ユダヤ人共同体の中に大きな混乱を巻き起こし、それまでサウロの味方だったユダヤ教信者たちは、彼を危険人物とみなして命を狙うようになりました。

そのため、サウロは夜逃げをせざるを得なくなりました。籠に乗せられて町の城壁から吊り降ろされ、ダマスコを脱出。エルサレムで弟子たちのもとに行きましたが、恐れられました。しかし、指導者の1人バルナバの説得によって、しぶしぶパウロを受け入れました。

その後、パウロはバルナバとともに、およそ1年の間、アンティオキアでイエスの教えを人々に伝えました。さらに、パウロはバルナバや後の同行者シラスとともにに、現在のトルコからギリシアにかけての町々に教会を創設しました。

これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。
かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。

新約聖書/使徒言行録9章21節~24節(新共同訳)

そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。

新約聖書/使徒言行録9章25節~31節(新共同訳)


パウロの宣教旅行

1人でも多くの人にイエスの教えを広めようと、パウロは小アジアやギリシアへの宣教旅行に3回出かけました。1回目はバルナバとともに、キプロス島を中心に布教活動を行い、2回目以降はギリシアの地まで足を伸ばしています。この宣教旅行の頃から、サウロはパウロに改名(※)したと言われています。

各地で、鞭で打たれたり石を投げられたり、不法な監禁や投獄など、度重なる迫害にも、パウロは少しもひるむことなく立ち向かって行ったと伝えられています。

※「サウロ」はヘブライ名で、「パウロ」はギリシア名と言われる場合もあります。

パウロが3回目の旅行から戻ったとき、敵対するユダヤ人によって捕らえられ、裁判にかけられました。パウロは自らローマ皇帝に上訴して無罪を訴えたいと希望し、ローマへ送られました。

※パウロはローマの市民権を持っていたため、皇帝へ上訴することができました。

ローマでは、兵士に監視され、軟禁状態であったものの家を借りて、比較的自由に過ごすことができました。そんな中で、パウロは各地のキリスト教徒たちに励ましの手紙を書き、布教と信仰の強化に努めました。

パウロが書いた信者たちへの手紙は「新約聖書」に記録されており、「新約聖書」の27書のうち13の手紙が、パウロによって書かれたと言われています。

Saint Paul Writing His Epistles/Valentin de Boulogne(17世紀頃製作)<br /> Blaffer Foundation Collection

Saint Paul Writing His Epistles/Valentin de Boulogne(17世紀頃製作)
Blaffer Foundation Collection

しかし、そのような生活も二年間で終わりを告げることになります。紀元64年7月18日、ローマで大火が起こりました。そして、皇帝ネロは、大火の原因をキリスト教徒による放火と断定しました。そして、ローマ市内に在住するキリスト教徒たちを逮捕、厳罰に処しました。その中にパウロも含まれており、紀元65年頃、パウロは斬首されて殉教したと伝えられています。

パウロは12使徒の一員でもなく、生前のイエスに一度も会ったことはありませんでした。しかし、イエスの声を聞くという奇蹟によって回心しました。パウロは、命をかけてキリスト教を世界中に布教した偉大な功労者と言われています。



〔参考・引用〕
創元社「聖書人物記」/日本文芸社「人物でよくわかる聖書(森実与子著)」/株式会社カンゼン「聖書の人々」/wikipedia/webio「世界宗教用語大事典」/株式会社なあぶる「週間聖書」