聖書と歴史の学習館

ステファノ信仰と聖霊に満ちた優秀な執事

天使のような顔を持つといわれるステファノ
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ステファノ(Stephen)

ステファノ(Stephen)は、新約聖書(使徒行伝)に登場する人物です。初代教会(エルサレム教会)の一員であり、使徒を補佐する7人の執事(ディアコン)のうち最も優秀な一人として仕えていました。彼は信仰深く、神殿で教えを広めるなど伝道にも熱心でした。また、神から賜物を授かり、神の力によって不思議なしるしや病気を癒やすなどの奇跡を行うことができ、人々からの信頼が寄せられていました。しかし、モーセの律法や従来の宗教観念に対して新しい解釈を示したため、ユダヤ教の指導者たちに異端とされていました。

あるとき、ユダヤ教の指導者たちはステファノを律法を犯す者として告発し、神殿の法廷に引き出しました。 ステファノは弁明を行い、神殿の法廷で自分の信仰とイエス・キリストへの忠誠を強く宣言しました。そして、イスラエルの歴史や預言者たちの証言を引用して神の摂理を訴えました。このとき、ユダヤ教の教えや伝統に対する批判的な言葉も述べたため、かえってユダヤ教の指導者たちを怒らせ、彼に対する非難と憎悪をさらに高めてしましました。最終的に、ステファノは神殿の外に引き出され、石で打たれて殺されました。しかし、ステファノは、処刑人の赦しを祈るなど、最後までイエスの教えを守り抜いた敬虔な執事でした。この出来事は、初代キリスト教共同体における迫害の始まりとされています。

ステファノは初代のキリスト教共同体で殉教した最初の人物です。ステファノの物語は、キリスト教の信仰において殉教と忠誠の象徴となっており、彼の勇敢さと信仰心は後世のキリスト教徒にとっての模範となっています。


02/05

恵みと力にあふれたステファノ

初代教会(エルサレム教会)は、教会を創設したパレスチナ地方のユダヤ人(ヘブライ語を話すユダヤ人/ヘブライスト)だけでなく、ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)も加わるようになり、急速に信徒が増加しました。 信徒が増えると、ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)が教会からの配給を十分受けられないという苦情など配給等トラブルも生じるようになり、12使徒は祈りや伝道に専念することが難しくなってきました。そこで、12使徒を補佐する7人の執事(※)を選び、当面の問題を乗り切ることにしました。

※この7人は、キリスト教(カトリック教会)の伝統的な聖職位階の一つである「助祭」のルーツといわれています。助祭は司祭につぐ職位です。

7人の執事は、日常品や食糧の配給・監督をしたり、食事の世話を行ったり、説教や洗礼までも行っていました。

そんな執事の中の一人がステファノでした。彼は執事の中でも群を抜いており、知性に恵まれ、イエスの教えの意義を深く理解していました。また、熱心に伝道活動も行いながら、奇跡で人々の病気も癒やすこともしました。

ステファノは「信仰と聖霊に満ちた人」「恵みと憐れみに満ちた人」などといわれ、新約聖書には、彼の殉教と信仰への忠誠心が記録されています。

新約聖書

そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。

使徒言行録6章1節~7節
©日本聖書教会「新約聖書」

03/05

ステファノの逮捕

イエスの教え(福音)を信じるキリスト教信者が増えるにつれて、ユダヤ教の指導者たち(祭司や律法学者、長老たち)は新たな勢力としてのキリスト教を脅威と感じるようになりました。彼らはキリスト教徒を陥れようと必死になりました。ある時、ユダヤ教の指導者たちはステファノと議論しましたが、ステファノは知恵のかぎりを尽くして語ったので、誰も彼に対抗することができませんでした。ユダヤの指導者たちはステファノに敗北感を覚え、怒りや嫉妬、恨みを抱きました。そして彼らは民衆や律法学者を扇動し、ステファノが神や神殿、モーセを冒涜したという罪状をでっち上げ、彼を逮捕して最高法院に連行しました。

※ステファノと論争したのは、すべてギリシア語を話すユダヤ人だったといわれています。

新約聖書

さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。
そこで、彼らは人々を唆(そそのか)して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。

使徒言行録6章8節~15節
©日本聖書教会「新約聖書」

ステファノと論争したユダヤ人

紀元前63年、当時のローマ皇帝ポンペイウスによって捕虜とされ、奴隷としてローマ帝国に連行されたユダヤ人たちの子孫が存在しました。彼らは後に解放され、一部はエルサレムに戻ってきました。彼らは土地を奪われ、散らばる苦しみと屈辱を忘れることなく、むしろユダヤ教の教えや宗教的習慣に固執する傾向があったと言われています。「解放された奴隷の会堂」とは、そうした人々が集まる場所であり、独自の規則や聖典の解釈が存在したと考えられます。また、キリキヤ人やアジア出身者など、ギリシャ語を話すユダヤ人たちが集まる会堂もありました。ステファノはこれらの会堂の人々と論争しました。彼らは皆、ユダヤ人でありながら、律法に厳格であり、エルサレム神殿へのこだわりも非常に強いものがあったと思われます。


04/05

ステファノの殉教

裁判の場で、ステファノは弁明を行いました。彼はアブラハムから始まるイスラエルの救いの歴史を振り返り、モーセやダビデ、ソロモンなどの先祖たちの役割を説明しました。そして、過去の人々が犯した神への過ちや、現代のイスラエルの人々がイエスを裏切り死に至らしめたことを理路整然に述べました(使徒行伝7章2節~60節)。

ステファノは言いました。「これまで、あなた方の先祖に迫害されなかった預言者はいたでしょうか。イエスの死は、あなた方の手によるものです」と。これに対し、怒りに駆られたユダヤ人たちはステファノに襲いかかり、彼を外に引きずり出して石で打ち殺しました。

しかし、ステファノは最期まで赦しを祈りながら言いました。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と。ステファノは律法学者や長老などのユダヤ人指導者によって殺害されました。彼の殉教の過程は、イエスの処刑の過程とも共通点が見られます。

ステファノという名前はギリシャ語で「冠」を意味します。彼は名前の通り、キリスト教の精神を最後まで貫き、その結果、「殉教の冠」を受けるにふさわしい存在とされています。

※ステファノの殉教は西暦35年前後のことといわれています。

ステファノの殉教

ステファノの殉教


聖ステファノ門/ライオン門

この門外でステファノが殉教したと伝えられている
エルサレム旧市街 Gate Jerusalem Holy Land
聖ステファノ門/ライオン門

新約聖書

「…かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」
人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

使徒言行録7章51節~60節©日本聖書教会「新約聖書」

05/05

キリスト教徒に対する迫害の強化

ステファノの殉教をきっかけに、エルサレム教会に対する迫害と弾圧は厳しくなりました。12使徒たちはエルサレムに残りましたが、迫害に耐えかねた信者たちは、ユダヤ地方やサマリア地方に逃亡しました。

新約聖書

その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。

使徒言行録8章1節~2節©日本聖書教会「新約聖書」
〔出典・参考〕
創元社「聖書人物記」/日本文芸社「人物でよくわかる聖書(森実与子著)」/株式会社カンゼン「聖書の人々」/wikipedia/webio「世界宗教用語大事典」/女子パウロ会「ラウダーテ」/目から鱗 使徒パウロの生涯「強いステファノ・弱いペトロ・迫害者パウロ」