ステファノ

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ステファノ

ステファノ

ステファノは12使徒を補佐する7人の執事の一人。熱心な伝道者であり、キリスト教最初の殉教者となりました。

天使のような顔を持つと言われるステファノ

天使のような顔を持つと言われるステファノ


恵みと力にあふれたステファノ

初代教会(エルサレムの教会)は、急速に信徒が増加(※1)しました。信徒が増えると、配給等トラブル(※2)も生じるようになり、12使徒は祈りや福音に専念することが難しくなってきました。そこで、12使徒を補佐する7人の執事(※3)を選び、当面の問題を乗り切ることにしました。

7人の執事は、日常品や食糧の配給・監督をしたり、食事の世話を行ったり、説教や洗礼までも行ったと言われています。

7人の執事(補佐)の一人がステファノでした。ステファノは執事の中でも群を抜いていました。優れた知性に恵まれ、イエスの教えの意義を深く理解しており、熱心な伝道活動も行いました。「信仰と聖霊に満ちた人」「恵みと憐れみに満ちた人」などと言われ、新約聖書には、彼の活動はすばらしいものであったことが記録されています。

※1:教会を創設したパレスチナ地方のユダヤ人(ヘブライ語を話すユダヤ人/ヘブライスト)だけでなく、ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト)も加わるようになりました。

※2:ギリシア語を話すユダヤ人が教会からの配給を十分受けられないという苦情。

※3:この7人は、キリスト教(カトリック教会)の伝統的な聖職位階の一つである「助祭」のルーツと言われています。助祭は司祭につぐ職位です。


そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。
そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。

新約聖書/使徒言行録6章1節~7節(新共同訳)


ステファノの逮捕

イエスの教え(福音)を信じるキリスト教徒が増えるにつれて、ユダヤ教の祭司や学者、長老たちは、新たな勢力として脅威を感じるとともに、何とか陥れようと躍起になっていました。

あるとき、ユダヤ人指導者たちはステファノと議論しました。しかし、ステファノは知恵のかぎりを尽くして語ったので、誰も太刀打ちできませんでした。

ユダヤ人指導者は、ことごとく論破されたために、怒り、嫉妬と恨みに燃えました。そして、民衆や律法学者をそそのかし、「神や神殿、モーセを冒涜した」という罪を着せ、ステファノを逮捕し、裁判の場(最高法院)に連れて行きました。

さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。
そこで、彼らは人々を唆(そそのか)して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。

新約聖書/使徒言行録6章8節~15節(新共同訳)

※ステファノと論争したのは、すべてギリシア語を話すユダヤ人だったと言われています。

※紀元前63年に当時のローマ皇帝ポンペイウスによって捕虜になり、奴隷としてローマ帝国に連行されたユダヤ人達の子孫達がいました。これらの人々はその後解放され、一部はエルサレムに戻ってきていました。土地を奪われ離散させられた痛みと屈辱を忘れないために、逆にユダヤ教の教えや宗教的習慣に固執するところがあったと言われています。「解放された奴隷の会堂」とは、そういう人々が集う会堂であり、独自のルールや聖典の内容理解等があったと思われます。その他にキリキヤ人達の集う会堂の人々、そしてアジア出身が集う会堂の人々、それらの人々がステファノと論争しました。共通点は、全てがギリシャ語を話すユダヤ人だったという事です。この議論相手は、生粋のユダヤ人以上に律法に厳しく、エルサレム神殿へのこだわりも相当なものがあったと思われます。- 目から鱗 使徒パウロの生涯より引用

ステファノの殉教

裁判の場で、ステファノは弁明しました。アブラハムから始まる、モーセ、ダビデ、ソロモンと続くイスラエルの救いの歴史、その救いの歴史に対して人びとが神にしてきた過ち、そして今のイスラエルの人も救い主である神を裏切り、イエスを死に至らしめたことを理路整然に述べました(使徒言行録7章2節~60節)。

「これまで、あなた方の先祖に迫害されなかった預言者はいない」「イエスを殺したのは、あなた方だ」と言われ、怒りが心頭に発したユダヤ人たちは、ステファノにいっせいに襲いかかり、彼を外に引きずり出して、石打ちの刑にしました。それでも彼は「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と赦しを祈りながら、息絶えました。

律法学者や長老などのユダヤ人指導者(かたくなにユダヤ教を重んずる人々)により殺害されてしまったステファノ。その殉教に至る過程は、イエスの処刑の過程が再現されているようにも思えます。ステファノという名は、ギリシャ語で「冠」という意味。その名にふさわしく、最後まで、キリスト教の精神を貫いたステファノは、「殉教の冠」を授かったと言えるでしょう。

ステファノの殉教

ステファノの殉教

この門外でステファノが殉教したと伝えられている<br />エルサレム旧市街 Gate Jerusalem Holy Land<br />聖ステファノ門/ライオン門

この門外でステファノが殉教したと伝えられている
エルサレム旧市街 Gate Jerusalem Holy Land
聖ステファノ門/ライオン門

※ステファノの殉教は西暦35年前後のことと言われています。

「…かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」
人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

新約聖書/使徒言行録7章51節~60節(新共同訳)


キリスト教徒に対する迫害の強化

ステファノの殉教をきっかけに、エルサレム教会に対する迫害と弾圧は厳しくなりました。12使徒たちはエルサレムに残りましたが、迫害に耐えかねた信者たちは、ユダヤ地方やサマリア地方に逃亡しました。

その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。

新約聖書/使徒言行録8章1節~2節(新共同訳)



〔参考・引用〕
創元社「聖書人物記」/日本文芸社「人物でよくわかる聖書(森実与子著)」/株式会社カンゼン「聖書の人々」/wikipedia/webio「世界宗教用語大事典」/女子パウロ会「ラウダーテ」/目から鱗 使徒パウロの生涯「強いステファノ・弱いペトロ・迫害者パウロ」