ミラノ勅令 コンスタンティヌス キリスト教の国教化 テオドシウス

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キリスト教の公認と国教化

初期のキリスト教の歴史は、ローマ帝国との対立の歴史でした。キリスト教は約300年間、ローマ帝国の目の敵にされ、弾圧や迫害を受けてきました。キリスト教信者たちは、カタコンベと呼ばれる地下墓地で、細々と信仰を守ってきました。


ミラノ勅令 - キリスト教の公認

キリスト教徒に対し、狂暴的な迫害を加えた皇帝ディオクレティアヌス(在位:284年~305年)が引退すると、翌年には、コンスタンティヌス1世(在位:306年~337年)が即位しました。しかし、ローマ帝国には権力争いが勃発し、内乱が続いていました。

ギリシア文字のΧとΡを重ねた紋章は「ラバルム(Labarum)」と呼ばれ、イエス・キリストの象徴となっています。

戦場に向かったコンスタンティヌス帝は、奇跡的な体験をします。夢の中に「XP」という模様と「この印とともにあれば勝利する」という文字が浮かんだのです。コンスタンティヌス1世は、これは神による予兆と見なし、部下の縦に「XP」の模様を描き、戦ったところ勝利しました。

「XP」とは、ギリシャ語で「XPIΣTOΣ(クリストス)」の頭文字。つまり「キリスト」を表しています。

内乱を治め、再び帝国を一つにしたコンスタンティヌス1世は、これまで迫害してきたキリスト教をローマ皇帝として、初めて公認しました。これが、313年の「ミラノ勅令」です。

コンスタンティヌス1世は、キリスト教徒から絶大な信頼を受け、晩年には洗礼を受けて、キリスト教に改宗しました。

※コンスタンティヌス1世の当初の目標はあくまでもローマ帝国の統一でした。キリスト教徒は、増え続けていたので、これまでと同じように迫害を続けていても国をまとめることができないと考えました。そこで、キリスト教を認め、利用した方が得策と考えたのです。

Baptism of Constantine コンスタンティヌスの洗礼<br />Gianfrancesco Penni 1520-1524年製作<br />Vatican Museums バチカン美術館/バチカン市国

Baptism of Constantine コンスタンティヌスの洗礼
Gianfrancesco Penni 1520-1524年製作
Vatican Museums バチカン美術館/バチカン市国


キリスト教徒になったローマ皇帝

その後、皇帝コンスタンティヌス1世は、ローマの首都を今のトルコの最大都市イスタンブールに移しました。イスタンブールは、古くはコンスタンティノープル(=コンスタンティヌスの都市)と呼ばれ、皇帝の名にちなんで名づけられました。

コンスタンティーノプルには、アヤソフィア(=聖なる知)博物館があります。その南側の入り口には、モザイク画があります。それは、コンスタンティヌス帝が、マリアとイエスに、城壁に囲まれたコンスタンティーノプルのまちを捧げているというモザイク画です。

このモザイク画からも、ローマ皇帝がキリスト教に改宗したことが見て取れます。

アヤソフィア博物館のモザイク画<br />右側がコンスタンティヌス帝

アヤソフィア博物館のモザイク画
右側がコンスタンティヌス帝


キリスト教の国教化

ローマ帝国に公認されたキリスト教は、一気に信者を増やし、ますます勢力を拡大しました。そして、熱心なキリスト教徒だったテオドシウス1世(在位:379年~395年)は、392年にキリスト教を国教化し、ローマ帝国における他の宗教を禁じました。国自体が改宗したのです。

当時、ローマ帝国は世界の中心でした。ローマ帝国の国教になるということは、世界一の宗教になったことを意味します。

イエスの磔刑、そして、12使徒たちによる命がけの伝道が始まってから約400年。ようやく、イエスの目指す「神の国の建国」に向けた第一ステージにたどり着くことができたのです。


〔参考・引用〕
テレビ東京「137億年の物語 - ローマ皇帝、キリスト教徒になる」/梅本憲二「日本と世界のやさしいキリスト教史」/wikipedia/wikimedia