キリスト教徒 ローマ帝国による迫害 最後の迫害

五旬祭ペンテコステ
聖霊降臨と呼ばれる新約聖書にあるエピソードの1つ。クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祭の一つで「ペンテコステ」と呼ばれています。イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事を記念するキリスト教の祝祭日。教派により訳語は異なり、聖霊降臨祭などとも言います。

ローマ帝国による迫害

イエスが処刑され、ペンテコステの日から爆発的な宣教活動が始まりました。特に、パウロの3回に及ぶ伝道旅行の成果は大きく、地中海沿岸からローマへいたる地域への布教が行われました。しかし、キリスト教の広がりとともに、キリスト教徒への弾圧も強まっていきました。


ローマ帝国ネロによる迫害

キリスト教徒への迫害として知られ、悪名が高いのは、ローマ皇帝ネロ(在位:56年~68年)です。

64年にローマで起きた大きな火事の原因をキリスト教徒による放火と断定して、キリスト教徒たちを逮捕し、虐殺しました。この中に、キリスト教最大の伝道者と言われるパウロも含まれており、65年に斬首され殉教したと伝えられています。

この頃から、ローマ帝国による長いキリスト教迫害の歴史が始まりました。

Nero's Torches(Christian Candlesticks)
蝋燭にされるキリスト教徒
Henryk Siemiradzki 1876年製作
National Museum,Kraków ポーランド


皇帝ディオクレティアヌスによる迫害

それでも皇帝ネロの時代は、まだ単発的・部分的な迫害でした。キリスト教徒への迫害が頻繁に行われ、狂暴化したのは、3世紀後半頃からです。

303年、皇帝ディオクレティアヌス(在位:284年~305年)は、ローマ帝国に反抗的なキリスト教徒の増加に危惧を抱き、勅令を発しました。その主な内容は、キリスト教の会合の禁止、会堂(教会)の破壊、聖書の焼き捨て、聖職者全員の逮捕などです。そして、勅令を拒否するキリスト教徒は財産を没収され、投獄されました。さらには、改宗を強要し、異教の神に犠牲を捧げることまで命じました。

当時どの監獄もキリスト教指導者と信徒であふれ、他の犯罪者を収容する場がないほどだったといわれています。そして最後にはコロッセオで火あぶりや刀、猛獣による死刑が行われ、人々の見せしめにされました。キリスト教徒への迫害は男女問わず行われました。数千人のキリスト教徒が処刑され、キリスト教存続の危機に陥ったといわれています。

※ディオクレイティアヌス帝の迫害は、ローマ帝国によるキリスト教徒への「最後の迫害」と言われています。

The Christian Martyrs' Last Prayer/キリスト教殉教者の最後の祈り
ジャン=レオン・ジェローム 1863-1883年製作
ウォルターズ美術館米国 メリーランド州

Christian Dirce/Henryk Siemiradzki
ワルシャワ国立美術館 ポーランド


キリスト教徒が迫害された理由

キリスト教徒がローマ帝国から迫害された表面上の理由を端的にいえば、当時の常識から外れた行為を行い、怪しげな集団に見えたからです。具体的には、次のような内容です。

  • 当時のローマの宗教は多神教であり、ローマ皇帝も神として崇められていましたが、一神教のキリスト教徒は、皇帝を神と認めなかったため。
  • 神の前での平等を主張するキリスト教が貴族階級から嫌われたため。
  • 当時のローマの人々が目に見える像を拝んでいた中で、キリスト教徒は目に見える礼拝の対象をもたず、無神論と非難されたため。
  • 少数の人がこそこそと集まってミサ(礼拝)を行っていることが、秘密会議をしていると誤解されたため。
  • 信徒間の平和の接吻が近親相姦と誤解されたため。
  • パンとぶどう酒を食する聖餐式(せいさんしき)を、イエスが「これは私の肉、私の血である」と言ったことから人肉を食べていると噂が流れたため。
  • キリスト教徒の増大に、皇帝が危惧を抱いたため。
  • ローマ建国千年目に当たっていた当時は、一種の終末観が支配的となっており、天災等の続出の原因を異国の神であるキリスト教を信仰しているキリスト教徒がいるためとみなされたため。

カタコンベによる活動と迫害の終焉

キリスト教徒は弾圧、迫害を受け、一時は存続が危ぶまれました。しかし、困難な状況下でも、根絶することなく、広がっていきました。キリスト教が拡大した理由の一つとして、「カタコンベ(※)」といわれる広大な地下墓地の存在が挙げられています。キリスト教徒は、ローマ皇帝の迫害を逃れるため、殉教者たちを葬る「カタコンベ」にこもって信仰を守り続け、キリスト教を発展させていったのです。

サン・カッリストのカタコンベ(横穴に遺体を埋葬)

※カタコンベ…キリスト教が迫害されていた時代のキリスト教徒の地下墓地のことで、信者が隠れて集まり、祈りを捧げる場所でもありました。今でもローマ周辺に約60カ所が残されており、約500~600万人のキリスト教徒が眠っていると言われています。

4世紀初頭、キリスト教はますます広がり、ローマ帝国にとって、無視できない存在となっていました。そして313年、皇帝コンスタンチヌスにより、キリスト教が公認されました(ミラノ勅令)。ようやく、ローマ帝国によるキリスト教迫害の時代が終わったのです。

さらに392年。テオドシウス一世は、ローマにおいて、キリスト教以外の宗教を禁じました。あれほど迫害されていたキリスト教がローマの国教となったのです。


〔参考・引用〕
梅本憲二「日本と世界のやさしいキリスト教史」/テレビ東京「137億年の物語」/Wikimedia Commons