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復帰歴史における「終末」文明の発展とメシヤから読み解く

終末とは何か ― それは単なる「世界の終わり」や破滅を意味する言葉ではありません。本来の終末の意味とは、堕落によって始まった人類の復帰歴史がその役割を終え、神の国の歴史が新たに始まる「時」または「時代」を指します。すなわち終末とは、人類が本来あるべき姿、すなわち堕落前の状態にまで回復し、神を中心とした世界が実現へと向かう転換期なのです。 人類はアダムの堕落によって、本来果たすべき使命を果たすことができませんでした。しかし終末の時代においては、その失われた使命が回復されなければなりません。その中心に立つ存在が、救世主(メシア)です。終末とは、このメシアの到来によって人類の歴史が本来の軌道へと戻り、神の国の歴史が始まる重要な時代を意味しています。本記事では、終末の具体的な特徴について、文明の発展や歴史の流れから見ていきます。

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人類の復帰歴史における「終末」

もし人類始祖であるアダムとエバが堕落せず、本然の歴史がそのまま始まっていたならば、神の国は永遠に続くものであるため、本来「終末」という概念そのものは必要なかったはずです。しかし実際には、アダムとエバの堕落によって、人類歴史は神を中心とした歴史ではなく、サタン世界の中から出発することになりました。

そのため神は、堕落した人間を本来の位置、すなわち堕落する以前の状態へと取り戻す摂理を進めてこられました。こうして人類は、失った本来の姿を回復するための「復帰歴史」を歩むことになったのです。そして、その復帰歴史が目指している到達点こそ、神の国の実現です。言い換えれば、人類歴史の目的は神の国を実現することにあるといえます。

たとえば、病気で入院した人が長い闘病生活を経て、再び元の健康な生活へと戻っていくように、復帰歴史にもまた終わりがあります。その苦しい回復の過程が終わり、本来あるべき正常な生活へ戻る時が来るのです。人類歴史において、その復帰の歩みが終わり、本然の歴史へと移り変わる時を「終末」といいます。

したがって終末とは、堕落によって始まったサタンの世界が終わり、神の国が実現し始める時を意味します。それは一般に想像されるような、ただ恐ろしい出来事が起こる時でも、単に天変地異によって世界が破滅する時でもありません。神の摂理という視点から見れば、終末とはむしろ、失われた本来の世界が回復される最大の希望の時なのです。

復帰歴史・終末のイメージ図

人類始祖の堕落がなければ、そのまま本然の歴史が始まるはずであった。しかし堕落によって人類歴史はマイナスの位置に転落し、そこから本来の位置(ゼロ)へ戻ろうとして歩んできた。その回復の歴史が「復帰歴史」であり、人類歴史が元の位置にまで戻った時期を「終末」という。


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終末にはメシヤが現れる

本来、人類始祖であるアダムは、神の国を出発させる中心としての使命を担うはずでした。しかし、アダムとエバの堕落によってその使命は果たされず、人類は復帰歴史を歩むことになりました。

そして復帰歴史が進み、人類が堕落前の元の位置にまで回復し、神の国が実現しようとするときには、誰かが再びアダムの役割を担う必要があります。その人物こそがメシヤ(※)です。つまり、終末とは、サタン世界が終わり、神の国が実現すると同時に、メシヤが降臨する時でもあるのです。

※メシヤは「後のアダム」「第2のアダム」などと呼ばれています。

このように、メシヤの使命とは、アダムが果たせなかった使命を完成し、本然の人類始祖(人類の王)となることにあります。さらにもう一つ重要な使命があります。それは、堕落した人間を本来の姿へと導く「人類救済」です。

たとえば、入院していた患者が回復して退院するためには医師の助けが必要であるように、堕落した人間が本来の姿に戻るためには、メシヤ(救世主)の存在が不可欠なのです。


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人類は2000年前に終末を迎えていた

約2000年前、メシヤとしてイエス・キリストがこの地上に現れました。これは、人類が終末的な時を迎えていたことを意味します。イエスは伝道を開始したとき、「見よ、時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコによる福音書1章15節)と人々に呼びかけました。この言葉からも、終末とは神の国が実現すべき時であることがわかります。

もしこのとき、ユダヤ人をはじめとする人々がイエスをメシヤとして受け入れ、従っていたならば、神の国はその時代に実現していたはずです。しかし当時の人々は、イエスに対して「悪霊に取り憑かれた男」「世を惑わす男」「疫病のような男」「悪鬼のかしらベルゼブル」などと非難しました。その結果、多くの人々はイエスを信じることができず、最終的には十字架にかけるという結果に至ってしまいました。

このように、2000年前の出来事は、終末とは単なる未来の出来事ではなく、歴史の中で実際に訪れうる「神の国実現の時」であったことを示しています。


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再び転落した歴史

約2000年前、復帰摂理は終末的な段階を迎え(時が満ち)、神の国がこの地上に実現しようとしていました。しかし、「後のアダム」となるはずであったイエスを人々が受け入れることができず、十字架に至らしめてしまったために、人類の復帰歴史は再び転落することとなりました。いわば「再堕落」ともいうべき状態です。

人類の始まりにおいて、アダムとエバは天使長(ヘビ)にだまされることによって神との関係を失い、霊的な意味で「死」に至りました。これは、神の主管を離れ、本来の人間としての位置を失ってしまったことを意味します。いわば、サタンによって「霊的に殺された(サタンの主管下に置かれた)」立場に立ったといえます。

一方、2000年前においては、後のアダムとして来られたイエスを人々が受け入れることができず、最終的には十字架にかけるという結果に至りました。これは単なる肉体的な死にとどまらず、イエスを中心として神の国を実現するという本来の摂理が成就されなかったことを意味します。

このように、歴史の始まりにおいてはサタンによって人間が神から引き離され、2000年前においては人間自身がメシヤを受け入れることができなかったという点において、同じ構造が繰り返されたと見ることができます。

すなわち、アダムの堕落においてはサタンが主体となって人間を神から引き離し、イエスの時代においては人間が主体となってメシヤを拒否するという形で、堕落の構造が歴史の中で再び現れたといえるのです。

このように、人類が終末の機会を迎えたとしても、神でも干渉できない人間の責任分担を全うしない限り、本然の歴史は始まらず、神の国も実現しないのです。

しかし神は絶対的なお方であり、「神の国の実現」という目的を断念することはありません。そのため、復帰の歴史は再び継続され、やがて再び終末の時を迎えることになります。そしてイエスは、弟子たちに「もう一度来る」ことを約束しました。すなわち、再臨のメシヤ(再臨主)が来られる時こそが、次の終末であるといえるのです。

再復帰歴史のイメージ図

再復帰歴史


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歴史は繰り返す

人類歴史を復帰の歴史として捉えると、終末の時に降臨したメシヤを人類が受け入れることができなかった場合、歴史は再び転落し、もう一度復帰の歩みをやり直すことになります。

つまり、復帰歴史が再び初期段階に戻ることで、いわば「やり直し」が行われるため、同じような出来事や現象が歴史の中に繰り返し現れることになるのです。

このような視点で歴史を見ていくと、「History repeats itself.(歴史は繰り返す)」という言葉が示すように、過去と類似した出来事が繰り返されていることが理解できます(詳細は「復帰原理」で)。

すなわち歴史とは、単なる偶然の積み重ねではなく、一定の原理と法則に従って進んでいる流れであると考えることができるのです。

「歴史は繰り返す」のイメージ図

復帰歴史のやり直しが再復帰歴史であるため、両者には類似した史実が現れるようになる


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終末には文明が発達する

歴史を振り返ると、メシヤが現れる前後の時代には、文明が大きく発展していることがわかります。

たとえば、イエス・キリストが現れる前の紀元前5世紀頃、ギリシャ文明はエーゲ海を中心に大きく発展しました。さらにローマ帝国の時代になると、「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれる安定した時代が訪れ、「すべての道はローマに通ず」といわれるほど交通や文化が発達しました。このように、イエスの時代に向かう中で、文明は急速に発展していったのです。

その後、約500年前にはルネサンスが起こりました。ルネサンスとは「再生」や「復活」を意味し、古代ギリシャやローマの文化を見直し、新しい時代を切り開こうとする動きでした。さらに18世紀後半には産業革命が起こり、機械化や科学技術の発展によって、現代文明の基盤が築かれていきました。

ドイツの歴史家ランケは、「すべての古代史はローマに集まり、近代史は再びローマから始まった」と述べています。つまり、古代の文明がルネサンスによって再びよみがえり、それが現代文明へとつながっているということです。

このように見ると、歴史の中では、ある時期に文明が大きく発展する「ピーク」が繰り返し現れていることがわかります。


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終末にはエデンの園が準備される

人類始祖であるアダムとエバが創造されたとき、神は彼らのためにエデンの園を準備されました。終末とは、堕落した人間が本来の姿に回復される時であり、「人間が再び創造される時」ともいえます。

そのため神は、最初に人間を創造されたときと同じように、終末においても人間が生きるための環境を準備されると考えることができます。その一つの現れが、文明の急速な発展であるといえるでしょう。

実際に、アダムとエバの時代を古代文明(古代メソポタミア文明)の始まりと見るならば、イエスの時代にはギリシャ・ローマ文明が大きく発展し、そして現代においても、科学技術や社会の仕組みは急速に発達しています。

「終末には文明が急速に発展する」のイメージ図

文明の発展という観点から歴史を見ると、歴史上にはいくつかの大きなピークが存在する

このように文明の発展という観点から見ても、現代は過去の終末期とよく似た特徴を持っており、再び重要な時代を迎えていると考えることができます。

※文明(特に科学技術)は、ゆっくりと一定の速度で発展するだけでなく、ある時期に急速に進歩する特徴があります。たとえば、ライト兄弟が飛行機を飛ばしたのは20世紀初頭ですが、その後わずか数十年でジェット機が実用化され、さらに宇宙へ進出する時代へと進みました。また通信分野でも、電話の発明からインターネットの普及まで、短い期間で世界が一気につながるようになりました。

イチジクの木に見る「終末のしるし」

イチジクの木(冬のイチジク、夏のイチジク)

イチジクの木の変化

「いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。」

これは、弟子たちがイエス・キリストに「世の終わり」について質問したときに語られた言葉の一節です。イエスは、終末は突然訪れるものではなく、自然の変化のように“兆し”をもって現れることを、この譬えで示しました。

文明の発展の背景には、数多くの発明や発見があります。人類は古くから、より便利で豊かな生活を求めてきました。本来であれば、文明は時間をかけて徐々に発展していくはずです。しかし実際には、ある時代になると、短い期間の中で急速に発展する現象が見られます。

この姿は、冬の間は枯れているように見えたイチジクの木が、春になると一気に芽吹き、葉を広げていく様子とよく似ています。つまり、終末の時代には、長い準備期間を経て、一気に変化が表れる特徴があると考えることができるのです。

また、終末にはエデンの園が準備されると考えるならば、人間が生きるための環境が整えられるだけでなく、人間自身の内面にも変化が起こると見ることができます。すなわち、人々の感性や発想が高まり、多くのインスピレーションが生まれ、結果として発明や発見が次々と現れてくるのです。

🌱 こども向けコラム

終末ってなに?

「終末(しゅうまつ)」と聞くと、「世界が終わってしまうこわいとき」と思う人もいるかもしれません。

でも、ここでいう終末は、そういう意味ではありません。

たとえば、長い冬が終わって、あたたかい春が来るときのようなものです。寒くてつらい時期が終わって、新しい季節が始まるとき。それが「終末」のイメージです。

人間の歴史も同じで、うまくいかない時代が長く続いたあと、本来のすがたにもどるときがあります。そのときが「終末」です。

そして、その大切なときには、人々を正しい方向に導く「メシヤ(救い主)」が現れると考えられています。

また、終末の前には、世界が大きく変わる準備が進みます。新しい発明が生まれたり、くらしが便利になったりするのも、その一つです。

だから終末は、「こわいとき」ではなく、新しいよい時代が始まる前の大切なときといえるのです。

もしかしたら、今の時代も、その大切な時に近づいているのかもしれませんね。

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