
「千の風になって」 科学から見える生命のつながり
「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません ― 」。そんな言葉から始まる詩の世界は、亡くなった人が風や光となり、自然の中で大切な人のそばにいるという、美しく静かなイメージを私たちに届けてくれます。
もちろん、科学は「人の魂が風になる」と説明するものではありません。でも、少しだけ視点を変えて、私たちの体をつくっている原子に目を向けてみると、不思議なことが見えてきます。
人の体をつくっていた炭素は、その人が亡くなったあとも消えてなくなるわけではありません。空へ、植物へ、土へ、海へ。そしていつか、別の生命の一部へ ― 。姿を変えながら、地球の中をめぐり続けます。
そう考えると、「千の風になって」という言葉が、少し違った響きをもって聞こえてくるかもしれません。
「千の風になって」という詩
「千の風になって」のもとになった英語詩として、「Do not stand at my grave and weep」が知られています。亡くなった人が「私は墓の中だけにいるのではなく、風や光や自然の中にいる」と語りかけるような内容です。
大切な人を失ったとき、私たちはつい「もう会えない」「どこにもいない」と感じてしまいます。しかしこの詩は、姿は見えなくても、その人を自然の中に感じることができるのではないか ― そんな優しい見方を示してくれます。
では、これを科学の世界から眺めてみるとどうなるでしょうか。
※原詩の作者については、メアリー・エリザベス・フライ作という説が長く知られてきましたが、現在確認されている初期の公刊例として、クレア・ハーナーが1934年に「Immortality」の題で発表した作品が挙げられています。成立過程には諸説があります。
私たちの体には、たくさんの炭素がある
人の体は、水だけでできているわけではありません。筋肉や皮膚、髪、血液、脂肪など、私たちの体を形づくる多くのものには炭素が含まれています。
たとえば体重50kgの人なら、体内にはおよそ9kg前後の炭素があると考えることができます。これを原子の数に直すと、想像もできないほど大きな数字になります。
これほどたくさんの炭素原子が、今この瞬間にも私たちの体をつくっています。
しかも、その一つひとつは、私たちが生まれたときに新しく生まれた原子ではありません。ずっと昔から地球上にあり、さまざまな場所を旅してきた原子なのです。
※人体に占める炭素の割合は目安として約18~18.5%とされています。体重50kg、炭素18.5%として計算すると、炭素原子は約4.6×1026個になります。
あなたの体の炭素は、昔は空にあったかもしれない
今、あなたの体をつくっている炭素は、もともとどこにあったのでしょう。
少し想像してみましょう。
例えば、今あなたの手をつくっている細胞の中の小さな炭素原子。その一つひとつにも、私たちには想像もできないほど長い「旅」があったのかもしれません。
はるか昔には、大気中の二酸化炭素として空を漂っていたかもしれません。やがて植物に取り込まれて、葉や花、木の実となり、それを動物が食べれば、今度はその動物の体の一部になります。そして植物や動物が生命を終えると、炭素は再び土や大気へ戻り、いつの日か、また別の植物に取り込まれていきます。
そうして炭素は、空から植物へ、植物から動物へ、そして再び土や空へ――。長い長い年月の中で、さまざまな姿になりながら、地球をめぐり続けてきました。
もしかすると、今あなたの体にある炭素の中には、太古の森に生い茂っていた木の一部だったものや、遠い昔に生きていた動物、あるいは昔の人々の体をつくっていたものもあるかもしれません。それらもまた自然へ戻り、植物や生き物へと受け渡されながら、長い時間を旅してきたのです。
そして、その果てしない旅を続けてきた炭素の一部が、食べ物を通して私たちの体へ入り、今、この瞬間は「私」という生命をつくっています。
そう考えると、私たちの体は確かに「自分のもの」でありながら、その材料は、長い地球の歴史の中からほんのひととき預かっているものとも言えるのかもしれません。
いつか私たちの体をつくっている炭素も自然へ戻り、花や木になり、別の生命の一部になるかもしれない――。私たちもまた、そんな大きな炭素の循環の中で生きているのです。
※植物は光合成によって大気中のCO2を取り込み、炭素を含む有機物をつくります。人間や動物は植物や他の生物を食べることで、その炭素を体内に取り込んでいます。
人が亡くなったあと、炭素はどこへ行くのか
人が亡くなっても、その人の体をつくっていた原子が消えてしまうわけではありません。
火葬された場合、体に含まれていた炭素の多くは燃焼によって気体となり、煙や空気の流れとともに大気へと移っていきます。そして風に運ばれ、少しずつ遠くへ広がっていきます。
あるものは植物に取り込まれ、あるものは海へ溶け込み、また別のものは土や生き物の中へ移っていくでしょう。
「千の風になって」という言葉のように、その人自身が風になるわけではありません。それでも、その人を形づくっていた物質の一部が、風に乗って自然の中へ広がっていくことは、科学の世界でも決して荒唐無稽な話ではないのです。
※火葬によって体内の炭素がすべてCO2になるわけではありません。一部は灰やその他の燃焼生成物として残ります。また、大気中へ出たCO2は大気循環によって広がる一方、植物や海洋にも取り込まれます。
亡くなった人の炭素が、私たちの近くにあるかもしれない
ここで、少し不思議なことを想像してみましょう。
もし、体重50kgほどの人に含まれていた炭素が大気へ出て、長い時間をかけて地球全体に広がったとすると、単純な計算では、空気1リットルの中に、その人に由来する炭素原子がおよそ10万個(※)あるほどの桁になります。
もちろん、現実の炭素は、ずっと空気の中だけにとどまっているわけではありません。風に運ばれ、植物に取り込まれ、土へ戻り、ときには海へ溶け込みながら、さまざまな場所をゆっくりとめぐっていきます。ですから、「いつでも空気1リットルに10万個ある」という意味ではありません。それでも、この数字からは、亡くなった人を形づくっていた炭素が、私たちの想像以上に広く、この地球を旅していく様子を思い浮かべることができます。
数年前に亡くなった祖母をつくっていた炭素の一部も、今、私の目の前の空気に混じっているかもしれません。窓辺の花の中にあるかもしれません。庭の木の葉や、遠くの森、あるいは海の中をめぐっているかもしれません。
そして、「千の風になって」に登場する亡くなった母を形づくっていた炭素もまた、娘さんのすぐそばを流れる空気の中に、花の中に、木々の中に、今も存在しているかもしれません。
姿は見えなくなっても、その人をつくっていたものまで、この世界から消えてしまったわけではありません。形を変えながら、今もこの地球のどこかをめぐり、ときには私たちのすぐそばにあるのです。
そう考えてみると、「千の風になって」という言葉も、ただの美しい比喩ではなく、炭素という小さな物質の世界から眺めれば、どこか現実と響き合っているようにも感じられます。
※仮に、体重50kgの人に含まれる炭素(冒頭の約460,000,000,000,000,000,000,000,000個)がすべて大気中に移り、地球全体の大気(約5,110,000,000,000,000,000,000リットル)に均一に混ざったとすると、単純計算では、空気1リットルあたり約10万個の「その人に由来する炭素原子」が存在することになります。
炭素は時空を超えてめぐり続ける
炭素の旅は、空だけで終わるわけではありません。
木々は空気中の二酸化炭素を取り込み、花や葉、幹をつくります。動物は植物を食べ、人間もまた植物や動物から炭素を受け取ります。そして、落ち葉や生き物の体はやがて土へ戻り、炭素の一部は再び大気へ、あるいは川や海へと移っていきます。
こうして炭素は、空、森、動物、人間、土、川、海のあいだを行き来しながら、長い時間をかけて地球をめぐり続けています。
昨日まで空にあった炭素が、今日は花びらの一部になっているかもしれません。今は私たちの体をつくっている炭素が、遠い未来には大木の幹の中にあり、さらにその先には海の中を旅しているかもしれません。
そして、この旅は、私たちの時代に始まったものではありません。炭素は、何百年、何千年、さらにそれをはるかに超える時間の中で、さまざまな生命と自然のあいだをめぐってきました。
もしかすると、今あなたの体をつくっている炭素の中には、太古の森に生えていた木の一部だったものや、遠い昔の動物、人類が誕生するより前の生き物の体をつくっていたものもあるかもしれません。そして、それらは生命を終えたあと自然へ戻り、別の植物や生き物へと受け渡されながら、長い旅を続けてきたのでしょう。
逆に、今の私たちの体をつくっている炭素も、いつか自然へ戻り、未来の花や木、動物、そして人の体の一部になるかもしれません。
そう考えると、炭素には「輪廻」とも呼びたくなるような旅があります。ひとつの生命を離れた炭素が自然へ戻り、やがて別の生命へ入り、そしてまた自然へ戻っていく――。そんな循環が、静かに繰り返されています。
生きとし生けるものは、時空を超えて、炭素の循環によってつながっているのです。
私たちは、それぞれ別々の時代に、別々の命として生きています。それでも物質の世界から見れば、同じ地球の炭素を受け渡しながら生きている存在でもあります。
そう考えると、過去の生命も、今を生きる私たちも、そして未来の生命も、大きな地球の循環の中で、どこか静かにつながっているように感じられます。
※このように炭素が大気・生物・土壌・海洋・岩石などの間を移動する仕組みを「炭素循環(carbon cycle)」と呼びます。炭素がとどまる時間は場所によって大きく異なり、短いものから非常に長いものまであります。なお、特定の炭素原子が過去に「誰の体にあったか」を調べることはできません。ここでいう「輪廻」は宗教的な意味ではなく、炭素が自然と生命の間をめぐり続ける様子をたとえた表現です。
「千の風になって」を、もう一度読んでみる
「私はそこにはいません」という言葉は、科学の説明ではありません。
けれども、亡くなった人をつくっていた物質が、墓や遺骨の中だけにとどまるのではなく、自然の大きな循環へ戻っていくということは、科学が教えてくれる事実です。
その人を形づくっていた炭素も、今なお自然の中をめぐり続けています。
そう考えると、「千の風になって」という詩の世界と、炭素循環という科学の世界が、遠く離れたところで静かに重なっているようにも感じられます。
大切な人を失った悲しみを、科学が消してくれるわけではありません。
それでも、その人を形づくっていた物質は、この地球から消えてしまったわけではない。
今もどこかで、空や木々や海や生命の中を旅している ― 。
そんなふうに自然を眺めてみることも、「千の風になって」の一つの読み方なのかもしれません。
※ここで述べているのは、霊魂や死後の意識の存在を科学的に説明するものではありません。「千の風になって」という詩的表現と、物質が自然界を循環する炭素循環とを重ねて考えたものです。
講談社「霊はあるか」(安斎育郎氏/立命館大学教授)|NASA Science「The Carbon Cycle」|NOAA Global Monitoring Laboratory「Carbon Cycle Greenhouse Gases」「Trends in Atmospheric Carbon Dioxide」|人体の元素組成に関する資料|「Do not stand at my grave and weep」の成立・原詩に関する資料