第一次世界大戦の開戦

参戦国の誰もが数週間で終わると信じていた第一次世界大戦。しかし、それまでにないほどの大規模で悲惨な戦争になりました。

第一次世界大戦の始まり

オーストリア=ハンガリ帝国

第一次世界大戦前夜、オーストリア=ハンガリ帝国は多くの民族を抱え、ヨーロッパの中心部を支配する巨大な国家でした。当時の皇帝は、フランツ・ヨーゼフ1世。この皇帝のもとでオーストリアは統一されていました。

フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベスの即位式

1914年のオーストリア=ハンガリ帝国


ヨーロッパ列強の野望

ヨーロッパ列強の国々は、当時、世界の五分の四を植民地としてしました。そして、新たな植民地獲得競争を展開しており、競って軍備を増強。相手のスキをうかがっていました。

世界の工場といわれ、最も多くの植民地を持つ大英帝国のジョージ5世。

世界屈指の富を誇ってたロシア帝国、ロマノフ家のニコライ2世

国家を統一して間もないドイツ皇帝のヴィルヘルム2世は、新たな領土獲得に野心を抱いていました。

こうして、ヨーロッパは一触即発の状況にありました。


ヨーロッパの火薬庫 バルカン半島

世界の緊張が高まる中、火種となったのがバルカン半島。この地域は、オーストリアやロシアなどの大国が支配権を狙っていました。しかし、この地に住むセルビアやボスニアなどのスラブ系の人たちは独立を目指していました。

こうした背景からバルカン半島は、様々な勢力の衝突が起きており、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。この時点では、争いの舞台はあくまでバルカン半島でした。そのため、ヨーロッパ列強にとっては、国外の出来事にすぎませんでした。


サラエヴォ事件

サラエヴォ事件 1914年6月28日

しかし1914年6月、事態を急展開させる事件が起きます。 ボスニアのサラエヴォで、オーストリアの帝位継承者夫妻(皇太子フェルディナンド夫妻)が暗殺されたのです。犯人は帝国からの独立を叫ぶ民族主義者(セルビア人の青年)。事件をきっかけにオーストリアがセルビアに宣戦布告します。さらにオーストリアと同盟を結んでいたドイツが参戦しました。

一方、セルビアを助けるべく、ロシア帝国、フランス、大英帝国が連合してドイツに宣戦布告します。こうして各国の連鎖反応を呼び起こし、1914年7月第一次世界大戦が始まりました。


クリスマスまでには帰れる!!

第一次世界大戦では、参戦国の指導者から出征兵士まで誰もが、この戦争は数週間で終結すると考えていました。そして、人々は勝利を楽観し、自発的に喜んで出征した兵士も多かったといわれています。

人々は「クリスマスまでには帰れる」と言って、兵士を盛り立てて戦場へ送り出します。兵士たちも「クリスマスにまた…」と言って出征していったとのこと。戦争が始まってわずか1ヶ月のうちに、ヨーロッパでは、1000万人以上が動員されたといわれています。

しかし、現実の戦いは一進一退を繰り返し長期化。それまでにない大規模で悲惨な戦争になりました。

1914年、出征するドイツ兵士。貨車には「パリへの旅行」と書かれている。参戦国の誰もが短期間で戦争が終わると信じていた(写真:Wikimedia Commons)。


〔参考文献・出典・引用など〕
NHK「映像の世紀/第2集 大量殺戮の完成」/wikipedia