聖書と歴史の学習館

創造原理陽性と陰性の二性性相

銀河系…中心部のまわりを無数の星が公転している
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万物は陽性と陰性の相対関係を持って存在している

あらゆる作品は、作者の見えない精神世界が見える形で表現されています。そのため、作品を見ると作者の「人となり」がわかるように、もし、神がこの宇宙を創造されたなら、宇宙や自然界を探求することにより、神様の神性を知ることができるはずです。研究者でない限り、詳しいことを調べることができませんが、私たちの身近な例を挙げると、「この宇宙に存在するものは、陽性と陰性(主体と対象)の相対関係から成り立っている」ことがわかります。

私たち人間は、男性(陽性)と女性(陰性)が一つのなり、家庭を築き、社会生活を営んでいる

百獣の王といわれるライオンも、雄(陽性)と雌(陰性)で生命活動(繁殖・生存)を営んでいる

鳥類も雄(陽性)と雌(陰性)で生命活動(繁殖・生存)を営んでいる。

植物は雄しべ(陽性)と雌しべ(陰性)によって存続する

物質(イオン結合性物質)は陽イオンと陰イオンが結合してできている。

原子は原子核(陽性)のまわりを電子(陰性)が回って構成されている。

太陽系の構成要素は、陽性と陰性とはいえないが、原子の様相と似ている。原子において原子核(陽性)のまわりを電子(陰性)が回っているように、惑星では、太陽(陽性/主体)のまわり惑星(陰性/対象)が回って構成されている。

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陽性と陰性の二性性相

このように自然界を観察すると、万物は陽性と陰性からなっていることがわかります。ここで、陽性と陰性をひとまとめにして「二性性相」とよぶことにすると、被造世界は「陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在している」ということができます。

陽性と陰性の二性性相
 陽性陰性
人間男性女性
動物オスメス
植物オシベメシベ
分子陽イオン陰イオン
原子陽子電子
Divine Principle ▼
Divine Principle

さらに、原子も、陽性または陰性を帯びるようになるが、これらの二性性相が相対的関係を結ぶことによって、物質の分子を形成するのである。このように形成された物質は、また、互いに二性性相の相対的関係によって植物または動物に吸収されて、それらの栄養となるのである。

さらに、すべての植物は各々雄しべと雌しべとによって存続するし、また、すべての動物は各々雄と雌とによって繁殖、生存するのである。人間についての例を見ても、神は男性のアダムを創造されてのち、「人がひとりでいるのは良くない」(創二・18)と言われ、その対象として女性のエバを創造なさったあと、初めて「はなはだ良(善)かった」(創一・31)と言われたのである。

©世界平和統一家庭連合「原理講論」 創造原理
神の二性性相と被造世界
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神の存在様相

この宇宙が陽性と陰性の二性性相の相対的関係を基礎として成り立っているのなら、この宇宙を創造された神にも陽性と陰性の二性性相が備わっているに違いありません。そこで、神の持つ陽性と陰性は、陽性の本質、陰性の本質という意味で、それぞれを「本陽性」と「本陰性」とよぶことにします。聖書には、

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。(創世記1章27節)

と記録されています。言い換えれば、神のかたちは陽性と陰性の二性性相が一つになったような(中和したような)存在であるということです。つまり、「神は陽性と陰性の二性性相の中和的主体としてもいまし給う」ということになります。

神の二性性相
 陽性陰性
本陽性(男性格)本陰性(女性格)
Divine Principle ▼
Divine Principle

既に述べたように、存在するものはいかなるものでも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在するという事実が明らかにされた。それゆえに、森羅万象の第一原因としていまし給う神も、また、陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在せざるを得ないということは、当然の結論だといわなければならない。創世記一章27節に「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」と記録されているみ言を見ても、神は陽性と陰性の二性性相の中和的主体としてもいまし給うということが、明らかに分かるのである。

©世界平和統一家庭連合「原理講論」 創造原理
神の二性性相と被造世界
Column

二性性相から神の存在を悟る

陽性と陰性の相対関係は、主体と対象の相対関係としてみることもできます。主体は対象に対して、より中心的なもの、より原因的なもの、より本質的なものになります。陽性と陰性の相対的関係においては、陽性が「主体」、陰性が「対象」といえます。だからといって、主体が対象に対して、優位にあるわけではなく、両者は一体となってはじめて存在が可能になります。

テレビ放送局とテレビを主体と対象という概念にあてはめると、テレビ局が主体で、家庭などに置かれているテレビが対象となります。テレビ局はテレビが存在することを前提としてつくられており、テレビもテレビ局の存在が前提となってつくられています。もし、テレビ局とテレビが何の関わりもなく存在していたら、テレビは映りません。テレビ局がただ単に電波を発し、テレビが勝手につくられていたら、何も機能しないのです。そこには、両者を統括するような知恵ある技術者がいて、テレビ局とテレビは一体のものとして綿密な設計がなされて、テレビ放送システム構築されているのです。そして、テレビ放送局が発した電波を映像として映し出すことが可能になるのです。

人間も同様で、男性と女性はやがて結婚して、新しい生命を生み出します。人間が永久的に存続するためには、主体である男性だけでは不可能です。必ず対象である女性が必要です。つまり、男性が存在する前提として、女性が必要であり、その逆もまた然りです。 両者はひとつのものとして生命活動を営まなければ、存続できないのです。そして、その背景には、男性と女性を統括するような、生命の永続性を設計した存在、すなわち神の存在が考えられるのではないでしょうか。

〔出典・参考〕
旧約聖書/新約聖書/世界平和統一家庭連合「原理講論」