聖書と歴史の学習館

洗礼ヨハネの使命John the Baptist's mission

Saint John the Baptist in the Wilderness
José Leonardo(Spain)
01/05

洗礼ヨハネの使命

洗礼ヨハネは、「メシアの道をまっすぐにする(直くする)使命」があったと聖書に記録されています。メシアが現れたときに、メシアが歩みやすいように道を整えるという使命であり、すなわち、人類の救援摂理を円滑に進めるためでした。

新約聖書

預言者イザヤの書に、/「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、/あなたの道を整えさせるであろう。荒野で呼ばわる者の声がする、/『主の道を備えよ、/その道筋をまっすぐにせよ』」/と書いてあるように、バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。

©日本聖書教会「旧約聖書」(口語訳)
マルコによる福音書 1/2~4

洗礼ヨハネは、神の選民であるユダヤ民族に、イエスがメシヤ(救世主)であるということを証し、人々をメシヤの前に導き、イエスの使命を完遂しやすくするという使命を持って現れました。洗礼ヨハネは、神の人類救援の摂理において重要な使命を担っていたのです。


02/05

ガブリエルによる受胎告知

洗礼ヨハネはヘロデ王の時代に誕生しました。洗礼ヨハネの父はユダヤ教の祭司ザカリア、母はエリサベツです。二人とも神の前に正しい人で、掟と定めをすべて守り、非のうちどころがないほどでした。

ある礼拝の日、ザカリアが香壇をたいていると、天使ガブリエルが忽然と現れたので、彼は恐怖の念に襲われていました。すると天使は「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。(ルカ1/13~14)」とザカリアに告げました。しかし、エリサベツは結婚してから長い間不妊のまま、高齢になっていたため、ザカリアは天使の言葉を信じませんでした。天使の予告に不信感を抱いたザカリアは、(信じなかった罰として、)洗礼ヨハネが誕生するまで、言葉が話せなくなってしまいました。いわゆる、唖(おし)になってしまったのです。

※エリサベツは「エリサベト」、「エリザベツ」、「エリザベス」など呼称は多くあります。

新約聖書

そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」

©日本聖書教会「旧約聖書」(新共同訳)
ルカによる福音書 1/18~20

03/05

洗礼ヨハネの誕生

天使が告知したとおり、ザカリアとエリサベツの子が誕生しました。天使の命令どおりに、子の名を「ヨハネ」と名付けることを決めたとき、ザカリアは、口が利けるようになりました。

このような奇跡を見たユダヤの人々は恐れをいだき、山里の至るところに、これらの事が広く語り伝えられました。それを聞く人々たちは皆それを心に留めて「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語りあいました。

人々は、洗礼ヨハネが生まれたときから、彼は神が遣わした預言者ではないかと考えていました。洗礼ヨハネの誕生時には、すでに彼が使命を果たすべく、充分な環境が整っていたのです。洗礼ヨハネの誕生は、イエスの誕生の6ヶ月前のことでした。


04/05

高まる洗礼ヨハネの信望

洗礼ヨハネの信望が高まる出来事は、出生時の奇跡だけではありませんでした。

彼は、荒野でいなごと野蜜を食べながら、命をつなぎ、祈りの生活をしました。その素晴らしい修道生活を見て、一般のユダヤ人だけでなく、祭司長たちも、彼こそメシヤではないかと誤認するほど、洗礼ヨハネの信望は高まりました。彼は、多くのユダヤ人から信用され、人望を集めるようになりました。

新約聖書

民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。
「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方(イエス)が来られる。わたしは、その方(イエス)の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

旧約聖書「ルカによる福音書」1/15~16

05/05

洗礼ヨハネがメシヤ(イエス)を証す

ユダヤ人たちは洗礼ヨハネをメシヤのように信じ、彼に従っていました。もはや、洗礼ヨハネは、その使命を問題なく、完遂できるような立場になっていました。

洗礼ヨハネの使命は「メシアの道をまっすぐにすること」でした。すなわち、人々にイエスがメシヤであることを証し、イエスに従わせることでした。もし、片田舎のナザレ出身のイエスがメシヤを自称すれば、「偽キリスト」などとして罪人扱いされてしまう可能性があります。それよりも、信望の高い洗礼ヨハネがイエスを証した方が、信憑性が高く、説得力があります。洗礼ヨハネによる証しについて、聖書には次のように記録されています。

新約聖書

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。
わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。

©日本聖書教会「旧約聖書」(新共同訳)
ヨハネによる福音書 1/29~37

このように、洗礼ヨハネは、弟子たちにイエスがメシヤであることを証しました。それと同時に、洗礼ヨハネの弟子たちは、洗礼ヨハネを離れ、イエスに従うようになりました。

洗礼ヨハネは、イエスをメシヤであることを証すことにより、これまで、自分に従っていた弟子たちが離れて、イエスのもとへ行ってしまいました。

私たちが、洗礼ヨハネと似たような立場に置かれたとき、どう思い、どう感じるでしょうか。多少なりとも、寂しい感情が湧いてくるでしょう。そして、ねたましく思うようになるかも知れません。

新約聖書

彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人(=イエス)、あなたが証しされたあの人(=イエス)が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」

花嫁(=人々/弟子たち)を迎えるのは花婿(=イエス)だ。花婿の介添え人(=洗礼ヨハネ)はそばに立って耳を傾け、花婿の声(=イエスの声)が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。

©日本聖書教会「旧約聖書」ヨハネによる福音書3/26,29~30