聖書と歴史の学習館

共産主義の中で生き続けたロシア正教

スーズダリの町並み
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赤の広場とクレムリン

赤の広場とクレムリン

ロシア連邦の首都モスクワの中心部にある赤の広場。ここはロシア革命をはじめ、さまざまな歴史の舞台となった場所で、ソ連時代には革命記念日などに軍事パレードが行われていました。モスクワのシンボル的な場所であり、世界遺産にも登録されています。

壁の向こうには、大統領府が置かれている政治の舞台クレムリンがあります。ロシア帝国の時代には、王朝府が置かれており、ロシア革命後は、ソ連の最高会議場として用いられ、ソ連政権の代名詞となりました。現在はロシア連邦の大統領府や官邸があります。


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国家権力と結びついていたロシア正教

ウスペンスキー大聖堂

赤の広場とクレムリンは、ロシア正教の聖地でもあります。赤の広場の一角にはロシア正教の教会である聖ワシリー聖堂があります。ロシア正教はキリスト教の一派で、10世紀頃からロシア全土に広がっていきました。

また、クレムリンの敷地内にはウスペンスキー大聖堂があります。ロシア帝国(ロマノフ王朝|1613~1917年)時代には、皇帝の戴冠式が行われていました。当時は、国家権力とロシア正教が密接に結びついていたのです。地方の農村ではロシア正教を中心とした教会の共同体「オプシーナ」がつくられていました。

ニコライ2世の戴冠式


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世界最初の社会主義国家・ソ連

しかし、1917年にロシア革命が起こると、300年続いたロマノフ王朝は滅亡します。1922年には世界で最初の社会主義国となるソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が誕生しました。平等な社会を理想に掲げ、政府が生産から分配まで経済全般を統制する計画経済を推し進めました。やがてソ連はアメリカと並ぶ超大国へと成長します。

ロシア十月革命


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宗教の弾圧

ソ連では、共産党以外の国民を指導する集団を認めず、宗教は激しく弾圧されました。モスクワから200km離れたところにあるスーズダリにはたくさんの教会が建ち並び、中世ロシアの面影が残されています。ソ連時代、スーズダリの教会は破壊は免れましたが鐘が取り外され、教会として使用することは禁止されました。

当時は、ロシア正教を信仰していることが密告され、仕事を失った人も少なくなかったといいます。それでも、熱心な町の信者は、家の隅に祭壇を築き、聖職者が不在の中、ひっそりと集まり、儀式を行なうことで、信仰を守ってきました。


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ロシア正教の復活

1990年10月、ゴルバチョフ政権のもとで「新宗教法(信教の自由に関するロシア連邦共和国法)」が成立し、ソ連でも信教の自由が大幅に認められるようになりました。この背景には、同年4月に宗教指導者である文鮮明氏がゴルバチョフ大統領と会談し、「宗教の自由」を許可するように訴え、それが受け入れられたことによるものと推測されます。

1991年、バルト三国の独立をきっかけにソ連は解体され、さらに12の独立国家が誕生しました。そのひとつがロシア連邦です。自由経済の資本主義国家へと転換したロシアですが、急激な資本主義化を進めた結果、物価が高騰し、食料品や生活必需品が手に入らなくなりました。住宅や医療など生活を保障していた社会主義政策がなくなり、町にはホームレスの人々が見られるようになりました。

この頃、スーズダリの町に再び鐘の音が響くようになりました。最初はガスボンベを鐘の代わりにしていましたが、最近になって住民がお金を出し合って鐘を寄進し、本物の鐘が戻りました。ロシア連邦では信教の自由が認められ、ロシア正教も復活したのです。

宗教学者の田口貞夫氏は「ロシアにおける正教の復興こそ、東西冷戦の終結、ソ連の終焉、ロシアにおける共産主義の消滅など画期的出来事の要因である」と主張しています。

スーズダリには、教会や修道院などの歴史的建造物が多く、世界遺産にも指定されている

〔出典・参考〕
NHK高校講座/コトバンク/wikipedia