ローマの建国神話 - 神話~建国まで

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ローマ/神話~建国

ローマの建国神話

ローマの建国は紀元前753年とされています(※1)。古代ローマの詩人の叙事詩(※2)によると、ローマ建国の初代王は、狼の乳を飲んで育ったという双子の兄ロームルスとのこと。現在でもローマの町のあちらこちらに、狼の乳を飲む双子のブロンズ像などを見かけます。

※1:紀元前1世紀のローマ人ウァッロによって推定

※2:ウェルギリウス(紀元前70年10月15日~紀元前19年9月21日)の遺稿として残された「アエネイス」

The Capitoline Wolf(カピトリーノの牝狼)<br />Capitoline Museum

The Capitoline Wolf(カピトリーノの牝狼)
Capitoline Museum

ロームルス兄弟の母はレア・シルヴィア。女神ウェスタの巫女でした。巫女は神に体を捧げる聖職者であり、婚姻や姦通を許されませんでした。しかし、レアは川辺で居眠りするうち、軍神マルスの子を身籠もり、双子の男の子を産みます。これに怒ったアムリウス(※)は双子を殺すように兵士に命じました。しかし、兵士は幼い双子を哀れんで、双子を籠に入れて密かにティベリス川に流しました。

※アムリウス…アルバ王アムリウス。神殿に命じてレアを女神ウェスタの巫女としました。

双子を入れた籠はイチジクの木に引っかかって川岸に流れ着きました。ティベリス川の精霊ティベリーヌスは、双子を救い上げ、一匹の雌狼に、双子に乳を与えるよう命じます。その後、双子は王の豚飼いに発見されて育てられ、ロームルスとレムスと名づけられました。その後、兄弟は立派に成長し周囲の牧夫のリーダーとなったと伝えられています。

双子を拾うファウストゥルスとアッカ・ラーレンティア<br />(ピエトロ・ダ・コルトーナ画)

双子を拾うファウストゥルスとアッカ・ラーレンティア
(ピエトロ・ダ・コルトーナ画)


神の啓示で決められた新しい都

青年に成長した双子の兄弟ロームルスとレムスは、自分たちが拾われた場所に新しい都を建てようと、兄弟のうちどちらが支配者になるか(どちらが選んだ場所を都にするか)を神の啓示で決めることにしました。

鳥占いの結果、兄ロームルスの祭壇に舞い降りた鷲の数が多かったため、彼は神の啓示が自らに下されたと考え、パラティーノ丘に都の聖域を決め町の建設を始めました。

※新しい都を作るために、双子はどこが相応しいか議論を交わしました。レムスはアウェンティヌスの丘に城壁を築くべきだと進言。一方、ロームルスはパラティーノの丘が適切であると主張します。結局、神の啓示で決めることになります。そして、それぞれが主張する丘に祭壇を用意し、鳥占いをします。先にレムスの祭壇に、神の僕である鷲が6羽舞い降りました。その少し後にはロームルスの祭壇に12羽の鷲が舞い降りました。ロームルスはより多い鷲が舞い降りたので、啓示は自らに下されたと考えました。そして、パラティーノ丘に街の建設を始めました。しかし、レムスは、先に鷲が舞い降りた自らの方こそ神の啓示を受けたのだと譲りませんでした。


ローマの建国 - BC753年

レムスが殺害され、ローマが建国された

レムスが殺害され、ローマが建国された

鷲が舞い降りた数では負けたものの、先に鷲が降りたのは、弟レムスの祭壇でした。占いの結果に納得できない弟のレムスは、不満を抱いていました。いつしか兄弟仲は悪くなっていき、口論を重ねるようになっていました。

そんなある日、弟のレムスは、兄ロームルスの都の聖域を飛び越えてしまいました。これに怒ったロームルスはレムスを殺してしまいます。そして「この壁を越えんとする全ての者に災いを」と宣言し、(伝説上の)王政ローマ建国の初代王となりました。この都はロームルスにちなんで「ローマ」と名付けられました。ここに、古代ローマの第一歩が踏み出されました。

※この出来事があったのはBC753年4月21日のこととされ、今でもローマの住民のまつりの日となっています。ローマ人は、キリスト紀元(西暦)の紀年法が行われるまで、このBC753年を紀元元年としていました。

その後、ローマでは王政が7代続きました。



〔参考・引用〕
山川出版社「詳細 世界史B」/NHK高校講座 世界史/池田書店「マンガでわかる世界史」/中経出版「忘れてしまった高校の世界史を復習する本」/教材工房「世界史の窓」/wikipedia