洗礼ヨハネ 洗礼ヨハネの使命

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洗礼ヨハネとその使命

洗礼ヨハネの使命

洗礼ヨハネは、「メシアの道をまっすぐにする(直くする)使命」があったと聖書に記録されています。メシアが現れたときに、メシアが歩みやすいように道を整えるという使命です。

預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた

新約聖書/マルコによる福音書1章2節~4節(新共同訳)

つまり、洗礼ヨハネは、神の選民であるユダヤ民族に、イエスがメシア(救世主)であるということを証し、人々をメシアの前に導き、イエスの使命を完遂しやすくするという使命を持って現れました。洗礼ヨハネは、神の人類救援の摂理において重要な使命を担っていたのです。


(おし)になった祭司ザカリア

洗礼ヨハネの父は祭司ザカリア、母はエリサベツです。誕生前からさまざまな奇跡が起こりました。エリサベツは結婚してから長い間不妊のまま、高齢になっていました。そのため、ザカリアは、妻エリサベツの懐胎に関する天使の予告を聞いた時には信じませんでした。ザカリアは、天使の予告に不信感を抱いたために言葉が話せなくなってしまいました。唖(おし)になってしまったのです。

※エリサベツは「エリサベト」、「エリザベツ」、「エリザベス」など呼称は多くあります。

ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。

新約聖書/ルカによる福音書1章5節~7節(新共同訳)

さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。
天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。・・・」

新約聖書/ルカによる福音書1章8節~14節(新共同訳)

そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」

新約聖書/ルカによる福音書1章18節~20節(新共同訳)


洗礼ヨハネの誕生

その後、ザカリアとエリサベツの子が誕生しました。天使の命令どおりに、子の名を「ヨハネ」と名付けることを決めたとき、ザカリアは、口がきけるようになりました。

このような奇跡を見た近所の人々はみな恐れをいだき、ユダヤの山里の至るところに、これらの事が広く語り伝えられました。それを聞く人々たちは皆それを心に留めて「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語りあったとのことです。ユダヤ人たちは、洗礼ヨハネが生まれたときから、洗礼ヨハネは神が遣わされた預言者であるのではないかと考えていたようです。洗礼ヨハネは誕生時には、すでに彼が使命を果たすべく、充分な環境が整っていたのです。

洗礼ヨハネの誕生は、イエスの誕生の6ヶ月前のことでした。

さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。

新約聖書/ルカによる福音書1章57節~64節(新共同訳)

近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

新約聖書/ルカによる福音書1章65節~66節(新共同訳)


洗礼ヨハネに対するさらなる信望の向上

ユダヤ人たちが洗礼ヨハネに対して、信望を高めるような出来事は、出生時の奇跡だけではありませんでした。

彼は、荒野でいなごと野蜜を食べながら、命をつなぎ、祈りの生活をしました。その素晴らしい修道の生活を見て、一般のユダヤ人だけでなく、祭司長たちも、彼をメシヤだと誤認するぐらいに洗礼ヨハネの信望は高まりました。

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

新約聖書/マタイによる福音書3章1節~6節(新共同訳)

民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。
「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方(イエス)が来られる。わたしは、その方(イエス)の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

新約聖書/ルカによる福音書3章15節~16節(新共同訳)


洗礼ヨハネがメシヤ(イエス)を証す

ユダヤ人たちは洗礼ヨハネをメシヤのように信じ、彼に従っていました。もはや、洗礼ヨハネは、その使命を問題なく、完遂できるような立場になっていました。

ところで、洗礼ヨハネの使命は「メシアの道をまっすぐにすること」でした。そのためには、まず、多くのユダヤ人から信用され、人望を集めている洗礼ヨハネ自身が「イエスがメシヤである」ことを証す必要がありました。

これは、片田舎のナザレ出身のイエスがメシヤを自称すれば、「偽キリスト」などとして罪人扱いされてしまう結果になりかねないからです。それよりも、信望の高い洗礼ヨハネが証した方が、信憑性が高く、説得力があるからです。

ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」

新約聖書/ヨハネによる福音書1章15節(新共同訳)

その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。
わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。

新約聖書/ヨハネによる福音書1章29節~37節(新共同訳)

このように、洗礼ヨハネは、弟子たちにイエスがメシヤであることを証しました。それと同時に、洗礼ヨハネの弟子たちは、洗礼ヨハネを離れ、イエスに従うようになりました。

洗礼ヨハネは、イエスをメシヤであることを証すことにより、これまで、自分を慕っていた弟子たちが離れて、イエスのもとへ行ってしまいました。

私たちが、洗礼ヨハネと似たような立場に置かれたとき、どう思い、どう感じるでしょうか。多少なりとも、寂しい感情が湧いてくるでしょう。そして、ねたましく思うようになるかも知れません。

聖書には次のように記されています。

彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人(=イエス)、あなたが証しされたあの人(=イエス)が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」

新約聖書/ヨハネによる福音書3章26節(新共同訳)

↓(途中略)

花嫁(=人々/弟子たち)を迎えるのは花婿(=イエス)だ。花婿の介添え人(=洗礼ヨハネ)はそばに立って耳を傾け、花婿の声(=イエスの声)が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。

新約聖書/ヨハネによる福音書3章29節~30節(新共同訳)



〔参考・引用〕
日本聖書教会「新約聖書(新共同訳/口語訳)」/新日本聖書刊行会「新改訳聖書第三版」/世界基督教統一神霊協会「原理講論」