本心から生じる善なる欲望 善い心(良い心,良心)幸福

本心から生じる善なる欲望

私たちは幸せを求めて生きている

私たちは「衣・食・住」を基本とした生活をしています。美しく質の高い服を着て、豪華で美味しい料理を食べて、立派な家に住み… 多くの日本人は、「衣・食・住」が高いレベルで満たされるようになりました。ほんの数十年前の日本と比べても、他国と比べても、日本人は物質的にとても恵まれた幸せな生活をしています。

そして、さらなる幸せ(幸福)を求めて、日々、勉強をしたり、仕事をしたり、旅行をしたり、他人とのつながりを持ったり、結婚をして家庭を築いたりします。「私は不幸を求めて旅行している」、「私は不幸になるために結婚するのです」などという人はまずいないでしょう。また、政治による国家運営・経営なども、結局は、国民の幸せ(幸福)を目指して行われています。

このように、個人レベルの些細なことから、国家や歴史を左右するような大きなことまで、私たちは「幸せ(幸福)」を求めて力を尽くしています。「人間は、幸せになるために生きている」、「人生の目的は幸福になること」といえるでしょう。

※しかし、どんなに物質的な豊かさに満たされても、本当の幸福にはならないことを、私たちは歴史な経験を通して得た教訓として受け止めるべきだと思います。裕福な家庭で育った釈迦が、王子の座を捨て、本当の幸せを求めて出家したことは有名です。また、世界では数多くの有名人が自殺しています。特に、韓国では、一般人も含め自殺死亡者数の多さに悩まされており(10年連続で自殺率世界第一位/2014年)、芸能人の自殺が社会に衝撃を与えました。物質的に恵まれ、幸せそうに見える有名人たちですが、精神的ストレスを克服できず、自殺という究極の選択をしてしまうのです。より大きい家、立派な車、より快適な生活…豊かな物質だけでは、本当の幸せをもたらすことはないのです。


善とは、悪とは

人間は誰しも「邪心(悪い心)」と「本心(善い心)」を持っています。邪心からは、不義なる欲望(悪い欲望)が生じ、それをコントロールできない状態に陥ると、人の道に外れた不義なる行いをして、欲望を満たそうとします。その結果、自分だけでなく、ときには周囲を巻き込んだ形で悪い結果(不幸)をもたらします。

一方「本心(良心)」からは、善なる欲望が生じます。善なる欲望は、善なる行いをして、欲望を満たそうとします。その欲望が満たされると自分だけでなく、周囲を巻き込んだ形で善い結果(幸福)をもたらします。

ところで「悪」とは何でしょうか。 またその対極にある「善」とは何でしょうか。多くの人は、理性で「善」や「悪」を次のようなイメージで考えていると思います。

●悪とは

  1. 他人に迷惑をかける行為
  2. 他人に嫌な思いをさせる行為
  3. 他人を不幸にする行為
  4. 自分のために他人を犠牲にする行為
  5. 自己中心的な行為

つまり、正義や道徳、法律に反する行為が、一般的に言われる「悪」といえます。

また、「悪」の反対を「善」として、上記の「悪とは」を正反対に考えると次のようになります。

●善とは

  1. 他人に恩恵を与える行為。感謝される行為
  2. 他人に良い思いをさせる行為
  3. 他人を幸福にする行為
  4. 他人のために自分を犠牲にする行為
  5. 他人中心的な行為(愛や慈悲など)

つまり、正義や道徳、法律にかなう行為が「善」となります。

※宗教を信仰している人たちは、聖典や啓典、経典の教え、つまり、神や仏から教示されたことを行なうこと(戒律を守ることなど)が「善」で、それに反することが「悪」と判断します。


本心から生じる善なる欲望

善い結果をもたらす本心(善い心/良い心)の身近な例としては、他人に対する思いやりや愛情などが挙げられるでしょう。

例えば、親の子に対する愛情、親が子の幸せを願う気持ち。そのような気持ちが本心であり、本心から生じる「善なる欲望」と言えるでしょう。子が幸せになれば、親も幸せです。つまり、親子ともども「幸せ」へと導く欲望です。

他にも、困っている人が助けてあげたいという気持ち。例えば、被災地の人を助けてあげたい、というような他人への思いやりが本心に該当するでしょう。このような本心からくる「善なる欲望」は、ボランティア活動などにつながり、自分の心が幸せな気持ちで満たされ、心が温かくなるだけでなく、他人(困っている人、被災者など)をも幸せに、そして、温かい気持ちにさせることでしょう。

ボランティアは「してあげている」のではなく、「(自分の幸せのために)させていただいている」と言われる方も多くおられます。また、大地震や豪雨などの被災者の方の声として「物資の援助も確かに必要ですが、ボランティアの人たちの優しい心が、最も励みになる」という趣旨の言葉を、報道等で、しばしば耳にします。

このように、心から生じる「善なる欲望」は、自分だけでなく、他人をも幸せにします。お互いに幸せになることができるのです。悪なる欲望によって得られるものは、物質世界における悪なる結果と精神世界における不幸であり、これに対し、善なる欲望によって得られるものは、物質世界における善なる結果と精神世界における幸福であるといえるでしょう。


自己満足の幸せと本当の幸せ

ある日、料理が趣味の主婦がとても美味しい料理を作ることができたとします。確かに自分自身はうれしく、多少の満足感や幸せを感じることでしょう。しかし、それだけでは満足しません。家族に同じものを食べさせてあげることでしょう。家族にも、美味しい料理を食べて、喜んでもらいたいからです。そして、家族が主婦の作った料理を喜べば、より大きな幸せ(満足感)が得られ、さらに料理レパートリーを増やす力(意欲)が湧いてくることでしょう。

また、歌が好きで、プロの歌手にまで上り詰めた人が、無人島に行って声がかれるほど歌を歌ったとしたらどうでしょうか。幸せを感じるでしょうか。きっと自己満足に終わり物足りなさを感じるでしょう。聞いてくれる人がいることで、はじめて幸福になることができるのです。

どんなに美味しい料理が出来ても、どんなに上手に歌を歌うことができても、自己満足で終わってしまえば、物足りなさを感じ、寂しいのです。他人と関わり、他人を喜ばせることで、より大きなの幸せが得られるのです。

※誰しも幸福を入れる器を持っており、そこに幸せ感が半分入った状態が、自己満足から生じる幸福感であり、その状態では不足感を感じます。さらに他人との関わりの中で器いっぱいに幸せ感が満たされるとき、本当の幸せを感じるのではないでしょうか。

このように、どんなに豊かな生活をしていても、一生懸命に勉強して希望の大学に進学しても、希望の企業に就職しても、それが自己満足のレベルで終わってしまっては、大きな幸せは得られないでしょう。他人のため、社会のため、日本のため、さらには、世界のために自分のできることを何かしたいという本心、そして「(本心に由来する)善なる欲望」が満たされたとき、精神的な喜びとともに本当の幸福を得ることができるのです。

つまり、自分が幸福になるためには、相手が必要であり、相手が喜び、幸せを感じることにより、自分も幸福になることができるのです。哲学的に表現すれば、人間が善を求め、幸福になるために生きているのだとすれば、自分は他人のために生きているといえるのではないでしょうか。


〔参考・引用〕
YouTube tongilgyo koreaさん「総序導入動画」/世界平和統一家庭連合「原理講論」