こちらは前の記事からの続きです。
人間始祖が誕生してまもなく堕落して、そこから復帰すべく歴史が流れているという捉え方が、堕落を考慮に入れた歴史の捉え方でした。聖書を紐解いていくと、この考え方が貫かれていることがわかります。
聖書によると、神による天地創造の最終段階で、人間の始祖であるアダムとエバを創造しました。もし、堕落しなければ、そこから本来の歴史(神の国)が出発するはずでした。
しかし、人間は堕落してしまったため、神による救いの歴史(復帰の歴史)として、歴史が流れてきました。
神は、救い主(メシヤ)として、イエス・キリストを選民であるイスラエル民族(=ユダヤ民族)のもとに送ります。しかし、当時のユダヤ人たちは、自らが抱いていた救い主のイメージとイエスのイメージがあまりに違っていたために、受け入れることができずに殺害してしまいました。神による人間救済の摂理は失敗し、再びゼロからのスタートとなりました。
つまり、アダムとエバが堕落した直後の状態と同じ位置に戻ってしまったことになります。いわば「再堕落」です。
そして、神はもう一度、救いの摂理をやり直します。もう一度、メシヤを遣わし、人間救済チャンスが現代です。
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〔参考・引用〕
世界平和統一家庭連合「原理講論」/倉原克直氏「総序」