聖書と歴史の学習館

聖書の歴史観人類歴史は復帰の歴史

人間は堕落しているという考え方が真理であるのなら、私たちは堕落を考慮した上で、人間をみつめ、社会をみつめ、歴史をみつめてみる必要があります。堕落の概念を踏まえて、さまざまなものをもう一度見直してみると、今まで見えなかったものが見えるようになってきます。そのひとつが人類の歴史です。聖書を紐解いて行くと、人間始祖が誕生して、まもなく堕落して、そこから復帰すべく歴史が流れているという歴史観が貫かれていることがわかります。

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人類歴史は「進歩の歴史」か?

太古の昔、人類は獲物を捕らえるのに石を使いました。後にだんだんと知恵が発達して鉄器を使うようになり、やがて鉄砲を使うようになり、今では、人間の知恵と技術を活かした多様な方法で獲物を捕らえるようになりました。獲物の捕らえ方だけでなく、時代とともに科学技術や経済が発達し、私たちは大変豊かな生活ができるようになりました。このような視点からは、「歴史は時とともに進歩する」というイメージで捉えられます。

 


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病気は堕落状態に似ている

人類の歴史を「堕落」の概念を考慮してみつめた場合、闘病生活がよい喩えになります。堕落は病気に喩えることができるからです。人間は健康であれば、スポーツをしたり、旅行をしたり、家事をしたり、正常な日常生活を送ることができます。しかし、何かの原因で病気をした場合、生活に支障をきたすことになります。これは、一種の矛盾(堕落)状態に陥っていることになります。

ひとつの個体の中に相反する目的を持つ指向性が存在しているからです。

健康な状態であれば、存在しないはずの病原体(菌やウイルス)が体内にあり、病原体は身体をむしばもうとします。一方で、健康を維持しようと、病原体の侵入や増加を阻止したり殺したりして、健康に向う作用が働きます。これが「闘病生活」です。

一度、病気になったら、闘病生活を経て、もとの健康状態まで回復しないと、正常な生活はできません。

 


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堕落を考慮した歴史の捉え方

堕落は読んで字のごとく、落ちるということです。一度落ちたら元の状態まで戻ってこないと正常な出発はできません。つまり、落ちて、もとに戻ろうとして、人類の歴史が流れている。これを「復帰歴史」とよんでおり、堕落を考慮した歴史の捉え方です。つまり、堕落以前の位置に戻った時に、矛盾のない、闘争のない「本来の歴史」が始まるという捉え方です。

 


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聖書の歴史観

聖書によると、神による天地創造の最終段階で、人間の始祖であるアダムとエバを創造しました。もし、堕落しなければ、そこから本来の歴史(神の国)が出発するはずでした。しかし、人間は堕落してしまったため、神による救いの歴史(復帰の歴史)として、歴史が流れてきました。

神は、救い主(メシヤ)として、イエス・キリストを選民であるイスラエル民族(=ユダヤ民族)のもとに送りました。しかし、当時のユダヤ人たちは、自らが抱いていた救い主のイメージとイエスのイメージがあまりに違っていたために、受け入れることができずに殺害してしまいました。神による人間救済の摂理は失敗し、再びゼロからのスタートとなりました。

つまり、アダムとエバが堕落した直後の状態と同じ位置に戻ってしまったことになります。いわば「再堕落」です。

そして、神はもう一度、救いの摂理をやり直しました。そして、時が満ち、もう一度、メシヤを遣わし、人類を創造本然に戻そうとされています。この人間救済の再チャンスが現代です。

聖書の歴史観の図

 

聖書歴史の年数

聖書を解読して作成された「アッシャー年表(Ussher chronology)」によると、BC4004年に天地創造(人間創造)、BC4年がキリスト誕生となっているので、人間始祖から現代までが約6000年となります。

旧約聖書の中心はイスラエル民族

ヤコブという人物が、天使との戦いに勝利して、メシヤを使わすための条件が整いました。ヤコブはその戦いに勝利したため、「イスラエル」という名を神から授かります。ヤコブの子孫を「イスラエル民族(ユダヤ民族)」とよび、神から選ばれた民族「イスラエル選民」となりました。そして、神はイスラエル民族にメシヤを遣わす約束(旧約)をされ、イスラエル民族は、日々、メシヤの降臨を待ち望んでいました。イスラエル民族(ユダヤ教徒)のうち、イエスをメシヤと認めていない信徒は、今でもメシヤの降臨を待ち望んでいます。

イエスの殺害とイスラエル民族の運命

神がやっとの思いで送ったメシヤでしたが、イスラエル民族(=ユダヤ民族)は、イエス・キリストを受け入れることができませんでした。イエスは「世を惑わす者」「悪霊に取り憑かれた男」「悪鬼の頭」「疫病のような男」などと言われ、最後には、ゴルゴダの丘で十字架に架けて殺害されてしまいました。イエスはイスラエル民族に対し「あなた方は神様に捨てられるであろう」と預言しました。神の「選民」であったイスラエル民族が、一転して、神(イエス)を殺したいわば「賤民」として、差別され、迫害を受け、1943年にイスラエルが建国されるまで約2000年間、放浪の民族となりました。

キリスト教の始まり

イエスが殺されず、使命を果たすことができたなら、そこから本来の歴史(神の国)が始まるはずでした。しかし、イエスはその使命を果たせず処刑されてしまいます。イエスは十字架で殺されるとき、「私は使命のすべてを達成できなかった。だから私はもう一度来る」と言われました。これが新しい約束(新約)です。このときから始まったのが、キリスト教です。現在、イスラエル民族(ユダヤ教)に代わって、クリスチャンたちがメシヤの再臨を待ち望んでいます。

メシヤを遣わす時期

神の人間救済の摂理において、メシヤを遣わすためには、時間的な条件も必要でした。そのため、イエスが30歳のときに伝道を始めた第一声は「見よ!『ときは満ちて』神の国が近づいた。汝ら悔い改めて福音信ぜよ!」でした。イスラエル民族の不信により、イエスを殺害してしまったため、メシヤの再臨までは、約2000年の期間を要することになります。

〔出典・参考〕
世界平和統一家庭連合「原理講論」/倉原克直氏「総序」