神が干渉できない間接主管圏と人間の責任分担 原理結果主管圏

神はなぜ人間に対して干渉されないのか

間接主管圏と人間の責任分担

喩えると「神の国入国試験」

日本では高校や大学に進学するときには「入学試験」を受験します。入学試験に合格して、初めて入学が許可されます。人間が神の国に入るときにも試験に相当するようなものあります。いわば「入国試験」で、端的にいえば「決められた期間中にずっと神の命令を遵守できるか否か」という試験です。

決められた期間は、いわば「試験中(試験時間)」です。試験中なので、神は人間に手を差し伸べることができません。神が人間の代わりに試験を受けることもできません。

人類始祖のアダムとエバは、この神の国の入国試験に落ちてしまいました。神の「取って食べるな!」という命令を、決められた期間中、守ることができなかったからです。そのため、神の国に入ることができず、堕落してしまったのです。

※キリスト教では、神の国入国試験に相当するものを「試練」と表現します。試練は魂(心)を鍛え、成長させるもの。神は人間が解くことができないような超難問は出題しません。つまり、少し頑張れば乗り越えられる試練や最大限に努力すれば乗り越えられるような試練を用意するといわれています。


間接主管圏

このように、神が人間に対して干渉することができない期間(喩えると「試験期間」)があります。この期間を「間接主管圏」と呼んでいます。また、「間接主管圏」は「原理結果主管圏」とも呼ばれます。神が天地創造の原理を設けたために生じたものだからです。

※人間は一定の期間を経ると、神が干渉できる「直接主管圏内」に入るように創造されていました。

人間以外の万物(被造物)は、成長期間を経過すると完成するようになっています。一方、人間は成長期間を経過するときに、神が干渉できない責任(喩えると「試験問題」)があります。

では、なぜ人間には、神が干渉できない責任があるのでしょうか。神にとって人間は、特別な存在で、最も愛するべき我が子として創造されたからです。

もしも僕が神様だったとしたら。日本で生きている、僕という魂の入った人間に、どんなことをさせるだろうか。
ただ、のんびりと、幸せに、ふわふわと過ごさせるだろうか。それとも、魂を鍛え、成長させるためのことをするだろうか。
たぶん、後者を選ぶだろう。そのためには、何をするだろう。たぶん、試練を与えるだろう。

心理カウンセラー/心屋仁之助


人間に責任分担がある理由

神は人間を我が子として創造しました。神は親の立場になります。親は子が自身に似ているほど、喜びは大きくなります。
人間の創造は神の天地創造の一部であり、人間に責任分担(=人間自身を完成させること)を持たせることにより、神の天地創造に加担することができます。神は、人間に天地創造を加担させることにより、神の創造性まで似るようにされたかったのです。
同時に、人間が天地創造に加担したという条件により、万物(被造物)の所有権(支配権/主管権)を人間に与え、人間に万物の主人としての地位を与え、万物を支配させるために責任分担を与えたのです。

DIVINE PRINCIPLE ▼
人間がそれ自身の責任分担を完遂して初めて完成されるように創造されたのは、人間が神も干渉できない責任分担を完遂することによって、神の創造性までも似るようにし、また、神の創造の偉業に加担させることによって、ちょうど創造主である神が人間を主管なさるそのごとくに、人間も創造主の立場で万物を主管することができる主人の権限をもつようにするためであった(創一・28)。人間が万物と違う点は、正にここにあるのである。


「創造原理/被造世界の創造過程とその成長期間」


〔参考・引用〕
世界平和統一家庭連合「原理講論」