聖書と歴史の学習館

神の天地創造は未完了 残されている人間の責任分担

Adam and Eve - Lucas Cranach the Elder

聖書を読むと天地創造はすべて終えたように読み取ることもできます。しかしそれは、神が行うべき御業が終わっただけで、天地創造は完了していませんでした。最終プロセスが残っていたのです。それは、人間(アダムとエバ)を完成させることでした。神は人間を完成させることを人間自身に行わせました。すなわち、人間自らの力で成長し、人間自身を完成しようとされたのです。これは神は人間自身も天地創造の大業に加担させたという条件で、被造世界のすべてを人間に与え、神の子として創造しようとされたからです。

01/05

天地創造の最終段階は人間の完成

善悪知る木の実だけは取って食べてはならない
The Garden of Eden
Lucas Cranach the Elder 1530
アルテ・マイスター絵画館

神は天地を創造し、その最終段階に人間(アダムとエバ)を創造されました。そして、神はアダムとエバに「善悪を知る木からは実を取って食べてはならない。」という命令(戒め)を与えました。人間(アダムとエバ)が成長して完成するためには、人間の成長期間中は、この命令を遵守する必要がありました。

しかし、人間(アダムとエバ)は神の命令に背き、堕落してしまいました。その結果、人間は未完成のまま、未完成の子孫を増やしてしまったのです。人間が神の命令を遵守していれば、天地創造の最後のプロセスである人間が完成して、完成した人間が生み増えて、神の御業が完了するはずでした。つまり、天地創造は、人間が責任分担を果たせず、最終段階で失敗してしまい、未だ完了していないのです。


02/05

人間再創造の摂理

上述のとおり、神の命令に従って人間が自らの責任で完成することは、天地創造の最終ステージでした。つまり、天地創造は神による人間以外の万物の創造(宇宙や地球環境、動植物の創造)のみではなく、人間にも天地創造の責任分担があり、いわば「神と人間のコラボレーション」により完了するはずだったのです。

神は絶対的な方でおられますから、天地創造の理想を中止されることはありません。 自ら完成することに失敗した人間を本来の人間として完成させる摂理(人類救援の摂理)が今も続いています。 いわば、壊れてしまった人間を修復している「人間の再創造」段階です。 この壊れてしまった人間(神の理想に反する人間)のことを、キリスト教では「堕落した人間」とよんでいます。 堕落した人間をもとの状態に戻すことを「復帰」といいます。神の人類救援の摂理は、人間を堕落状態から復帰し、未完成の人間を神の理想のとおりに完成させることといえます。


03/05

復帰摂理の難しさ(1)

人類救援の歴史は、聖書の記録では、すでに6000年間もかかっています。全知全能の神であるはずなのに、なぜこんなに時間がかかるのでしょうか。その理由の一つは、神は絶対的なお方であり、自ら定めた原理・原則、理想等も絶対的(変更等があり得ない)であるからです。すなわち、神が人間に与えた天地創造の責任分担(原理・原則)を崩すことはできないのです。

人間は自らの責任分担の中で、神の命令に背き、天地創造の摂理を頓挫させてしまいました。自らの責任分担の中で堕落してしまった人間に対し、神は手助け(干渉)できません。人間が自らの責任分担の中で復帰することが原理・原則であり、復帰の環境を整え、メシヤ(救世主)を送ることが、原理・原則のもとで神としてできる最大限のことなのです。


04/05

復帰摂理の難しさ(2)

 

堕落した人間を別の観点からみれば、サタン(※)が支配できる人間になってしまったということです。サタンが人間始祖をそそのかして、善悪知る木の実を食べさせたから(人間とサタンが悪なる性関係・血縁関係を結んだから)です。その結果、サタンの血統とともにサタンの性品が人間に入り込んでしまい、この世に罪悪が広がってしまいました。さらに、サタンは人間と結んだ血縁関係(原罪)を根拠に人間の所有権がサタンとなってしまい、人間を支配(コントロール)できる条件をつくってしまいました。人間はサタンが意図する行為(悪や不義など)をするようになってしまい、そのたびにサタンは悪なる行為をする人間をサタンの子として主張するため、復帰摂理がますます難しくなっています。

※サタン=聖書の失楽園の物語の中では「へび」と表現されています。


05/05

神とサタンの人間の所有権争い

神とサタンの駆け引きは、天の論理(原理、天法)をもとに、法廷論的に行われるといわれています。人間の堕落により、神は人間の支配権を失い、サタンが人間を支配するようになってしまいました。人間が神の指示する(意図する行為)をしないで、サタンの指示する(意図する)行為をするため、神が人間の所有権を主張できず、サタンが人間の所有権(人間はサタンの子であり、サタンがの主人であること)を主張しながら支配しているのです。

この悪循環から抜け出すためには、人間自らの責任分担の中で、神のもとへ帰り、人間の主人は神であること示す条件が必要です。この条件は「象徴献祭」とよばれ、具体的には、神に供え物を捧げることです。聖書には、アベル、カインをはじめ、ノア、アブラハムなどが供え物を捧げたことが記録されています。