2つのタイプの欲望「義なる欲望」と「不義なる欲望」

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義なる欲望と不義なる欲望

悪と善の狭間で生きている私たち

私たちの社会には、窃盗、殺人、性犯罪など、さまざまな犯罪、いわゆる「悪」が存在します。その一方で、私たちはお互いに助け合って生きようとする指向性を持っており、ボランティアをはじめとする社会貢献など、いわゆる「善」が存在しています。私たちは、悪と善の狭間で生きているのです。


悪の根源は利己主義(自己中心)

悪の根源は「利己主義的な欲望」です。周囲への迷惑や不幸を顧慮せず、「自分さえよければよい」いうような、いわば「自己中心的な欲望」です。その欲望に従って行動すると、犯罪にまで発展することがあります。そして、自分を不幸にするだけでなく、当事者をめぐる家族や友人までも不幸にしてしまいます。

犯罪者本人は、一時的には幸福のようなものを感じるかも知れませんが、やがて呵責や不安を覚え、その苦しみに耐えることができず、自首したり、自殺してしまう人も少なくないようです。幸福を求めて行動したのですが、その欲望が利己主義(自己中心)であったため「不幸」につながってしまったのです。


善の根源は愛他主義(他者中心)

一方、「善」の根源は、「愛他主義的な欲望」です。「他人の為に何か役立ちたい。誰かに喜んでもらいたい」というような、いわば「他者中心的な欲望」です。その欲望に従って行動すると、他人を幸福にするだけでなく、自分をも幸福にします。ボランティア活動をされている方の中には、ボランティアはしているのではなく、(自分の喜びのために、)させていただいていると言っておられる方もいます。また、震災や気象災害などでボランティアを受ける多くの被災者の方々が「救援物資なども助かりますが、何よりボランティアの方々に来ていただいて、支援していただいたことが最も嬉しく、心の支えになる」という趣旨の内容を話しておられる報道もしばしば見られます


義なる欲望と不義なる欲望

人間誰しも幸福を求めます。犯罪者ですら、はじめから不幸になるために、悪なる行為をするのではありません。欲望を満たして幸福になろうとして犯罪を犯してしまうのです。

人間は、欲望が満たされたときに喜びを感じ、幸福になります。しかし、現実には欲望を満たすべき行動をしても、不幸になってしまう場合もあります。

上記の観点で欲望を見つめてみると、欲望には2タイプあることがわかります。一つは「幸福に向う欲望」、もう一つは「不幸に向う欲望」です。

幸福に向う欲望は、願いとおりに幸福になるので、正しい欲望であり、「義なる欲望」と呼ぶことにします。

これと反対に不幸に向う欲望を「不義なる欲望」と呼ぶことにします。

2つの欲望の図

 

 不義なる欲望(悪)義なる欲望(善)
動機自己中心(利己主義)他人中心(愛他主義)
結果願っていない「不幸」につながる願い通りに「幸福」につながる

※人間は誰しも義なる欲望と不義なる欲望の両方を持っています。私たちも心の中を正直に見つめると、置かれた環境(状況)などによって、善なる欲望が湧いたり、不義なる欲望が湧いてくることもあると思います。これは、凡人だけでなく、義人・聖人と呼ばれる人でも、不義なる欲望を持ってしまうのです。そして、この不義なる欲望を何とかしようとして、修道者たちは断食をしたり、滝に打たれるなど難行・苦行をしてきました。


人生の目的は?

人生の目的は?人間が生きている目的は?と聞かれたら、あなたなら何と答えるでしょうか。多くの人は回答に苦しむのではないでしょうか。では、将来の夢は?と聞かれたら、何と答えるでしょうか。例えば、若い方であれば、「スポーツ選手になりたい」、「アイドル歌手になりたい」、「研究・開発者になりたい」などの回答が返ってくるでしょう。

夢は願望であり、欲望であり、理想です。私たちは「幸福(幸せ)」を思い描いて、夢を語ります。「私は不幸になるために努力しています」などとという人は一人もいません。最初から不幸を願って行動する人は誰もいないのです。誰もが幸福になりたいと思い行動します。悪人と呼ばれる人たちや犯罪者、自殺者ですら、今よりも幸福になれると思い行動を起こすのです。

日常を見ても、よい学校に行くこと、よい会社に就職すること、マイホームを購入すること、結婚すること…。すべては「幸福」になるための行いであるといえます。

つまり「人間は幸福を求めて生きている」、「人生の目的は幸福になること」といえるのではないでしょうか。


未だ幸福の世界が実現されていない

このようにこの地上に生まれて、死んでいった人が一人も例外なく「幸福になりたい」と願ってきたとするならば、人類歴史が始まってから今日までに幸福な世の中が実現されていてもよいのではないでしょうか。しかしながら、私生活を見ても、社会を見ても、世界を見ても、本当に幸福になったと断言できる状況ではありません。私たちが生きる世界には、幸福とは正反対の不幸に導くような指向性があるからです。そして誰もが願わない不幸の現実が、歴史の中に綿々と続いているのです。そこに、人間や社会の矛盾性が見え隠れしているように思えます。

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〔参考・引用〕
世界平和統一家庭連合「原理講論」/倉原克直氏「総序」