第二次世界対戦後の中東・パレスチナ問題

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第二次世界対戦後~(中東・パレスチナ問題)

第二次世界大戦では、シオニスト(ユダヤ人)はイギリスの戦争を支持します。27,000人のユダヤ人を投入し、フランスやナチス・ドイツとの戦いを続けました。しかし、ユダヤ人国家の建設という目標の実現にとっては、イギリスが最大の障害になるであろうとの認識しており、戦後はイギリスとの武力闘争が避けられないものとして、シオニストたちは戦時中から準備を整えていました。そして、1945年に終戦となりますが、その直後から武力闘争が活発化します。

1945年後半ユダヤ人武力闘争が活発化

ユダヤ人の武装組織「イルグン」による武力闘争が活発化。イギリスは陸軍部隊を派遣し、治安維持活動を行うもののなかなか成果はあがりませんでした。

1946年6月29日ユダヤ人組織の一斉拘禁

イギリスはエルサレムのユダヤ機関事務所を急襲。3,000名以上を逮捕し、機密文書を押収します。「イルグン」のメンバー7人を処刑。

1946年7月22日キング・ダビテ・ホテルを爆破

「イルグン」が警告を発した後、イギリス軍司令部があるキング・ダビデ・ホテル(ダビデ王ホテル)を報復爆破。司令部要員の多数が死亡。

1947年2月イギリスがパレスチナ統治を国連に委ねる

1946年9月、パレスチナ統治に困難を覚えたイギリス政府は、もう一度、問題解決の主導権獲得を試みるため、和平会議を呼びかけますが、ユダヤ人側は出席を拒否。パレスチナは騒乱状態となります。1947年2月、イギリスは結局、パレスチナ問題の解決能力がないことを認め、パレスチナ問題解決を国連に委ねることになりました。事実上のパレスチナ放棄となりました。

1947年6月国連がパレスチナに調査団を派遣

国連パレスチナ特別委員会(UNSCOP)がパレスチナに調査団を派遣。調査団に対し、ユダヤ人は積極的に協力しましたが、アラブ人は協力しませんでした。その結果、アラブ側は不利な状況になり、パレスチナにユダヤ人国家を作ることに対し、国連が認めやすくなりました。

※UNSCOPは、パレスチナでの現地調査を含め、5月26日から8月31日まで活動を行ないました。

1947年アンネの日記が出版される

アンネ・フランク

アンネ・フランク

ユダヤ人狩りを恐れ、オランダのアムステルダムの隠れ家で生活していたユダヤ人少女のアンネ・フランク。「アンネの日記」は、そのときの家族や同居人たちの生活を綴ったものです。オランダで出版され、多感な少女が懸命に生きた姿が感動を呼び、世界的なベストセラーとなります。「アンネの日記」を読んだ世界の人々は、ユダヤ人に同情的し、イスラエル建国を後押しする要因の一つとなりました。

※1944年に隠れ家を発見され、アンネを含む住人は全員はドイツの強制収容所に送られます。アンネはチフスにかか罹って15年という短い生涯を閉じます。

1947年7月エクソダス号事件

ユダヤ人難民4530人を乗せた「エクソダス1947号」が、イギリス軍により拿捕(だほ)され、強制的にフランスのマルセイユに返されます。マルセイユで下船を拒否したユダヤ人難民は、ドイツのハンブルグへ輸送されドイツの収容所に入れられてしまいました。しかし、この模様は逐一ラジオで全世界に伝えられ、イギリスは西欧諸国の大非難をあびることになりました。さらに、イギリス国内でさえも難民船強制送還に多くの反対意見が起こりました。この事件により、世界中からユダヤ人への同情を集め、国連パレスチナ分割決議への心情的な推進力となります。

※エクソダス号事件は非合法ユダヤ人難民の受け入れを厳しく制限していた当時のイギリスのパレスチナ統治政府政策を象徴するものといわれています。

※エクソダス号事件は映画「栄光への脱出」のモチーフとなっています。

1947年9月国連がパレスティナの分割決議案を提出

エクソダス号事件が世界中から注目を集めたこともあり、パレスチナ問題は国連の最優先課題となります。国連パレスチナ特別委員会は委任統治領パレスティナの分割決議案を提出。パレスチナ分割を多数意見として勧告します。

1947年11月29日国連総会でパレスチナの分割決議案が採択

パレスチナの分割決議案は、アラブ諸国の猛烈な反対にもかかわらず、賛成多数で採択されます。エルサレムおよび周辺地域は国際管理、ガザ、ヨルダン川西岸地区はアラブ人国家、それ以外はユダヤ国家とします。

※当時、ユダヤ人(シオニスト)が所有していた土地は、パレスチナの7%程度。当決議案では、56.4%をユダヤ人に割り当て、アラブ国家に42.9%、エルサレム国際管理地区に0.7%でした。ユダヤ人にとっては大勝利でした。

1948年5月14日イスラエルの建国宣言

イギリスの高等弁務官がパレスチナを去り、イギリスによるパレスチナ支配が終結。この日、ベン・グリオンの臨時政府が「イスラエル共和国誕生」を宣言します。

イスラエル建国宣言/イスラエル初代首相ベン・グリオン

イスラエル建国宣言/イスラエル初代首相ベン・グリオン


イスラエル国の誕生/STATE OF ISRAEL IS BORN<br />パレスチナ・ポスト 1948.5.14

イスラエル国の誕生/STATE OF ISRAEL IS BORN
パレスチナ・ポスト 1948.5.14

しかし、イスラエルが独立宣言をおこなった当日、アラブ諸国は宣戦布告をしました。アラブ陣営は兵力がユダヤ側を大きく上回っており(アラブ側兵力は15万人、ユダヤ人は民兵合計3万人)、ひとたび戦闘が始まれば、すぐにアラブ側の圧勝で終わると考えていました。

※「イスラエル」は、ユダヤ民族の父祖であるアブラハムの孫ヤコブの名に由来します。イスラエルは神からヤコブに与えられた名で、ヘブライ語の語源は「イスラ(戦う、戦士、秘密)」+「エル(神)」で日本語では、「神は戦う」、「神と(ともに)戦う」「神の戦士」、「神が支配する」などと訳されます。

1948年5月15日第一次中東戦争勃発

イスラエルの建国宣言の翌日、アラブ連盟の指導するイラク、シリア、トランス・ヨルダン、エジプト、サウジアラビア、レバノンにパレスチナ人を加えた軍勢がパレスチナに侵攻。4次にわたる中東戦争の火蓋が切って落とされます。

アラブ諸国の侵攻から国を護るユダヤ人たち

アラブ諸国の侵攻から国を護るユダヤ人たち




〔参考・引用〕
中経出版「池上彰の世界の宗教が面白いほどわかる本」/日刊こどもニュース「パレスチナ問題ってなに?英国と国連が悪いの?」/Hiroshi UEHARA on Line「パレスチナ、土地をめぐる戦争-オスロ合意までの経緯-」/静岡県立大学 国際関係学部 宮田律「ユダヤ人の歴史概観」/カフェ ギャラリー アメリエケイ「二つの建国物語(パレスチナとイスラエルの物語)」/ヘブライの館「イスラエル共和国の建国史」「イスラエル共和国の発展史」/NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所「誰にでもわかるパレスチナ問題」/wikipedia/世界史の窓