イスラエルの建国 中東戦争 パレスチナ難民

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イスラエルの建国と中東戦争

イスラエルの建国

1947年国連はパレスティナをユダヤ人とアラブ人で分割することを決議します(パレスチナの分割決議案)。聖地エルサレムはイスラム教のみならず、ユダヤ教、キリスト教の聖地でもあるので、国連が管理する「国際管理地区」となりました。

この決議に対し、これまで迫害されてきたユダヤ人にとっては、悲願の独立国家を建国することになります。しかし、先住のアラブ人にとっては、ユダヤ人に土地を奪われることになるため、この決議を受け入れることができません。

そして1948年、イギリスによるパレスチナ支配が終結すると、アラブ人の同意がないまま、ユダヤ人はイスラエルの建国を宣言します。

その翌日、アラブ諸国の連合軍(※)が、イスラエルに侵攻します。第一次中東戦争が勃発したのです。

出典:wikipedia   

出典:wikipedia   

アラブ側の兵力15万人に対し、ユダヤ人側は民兵合計3万人という圧倒的な差。まさに多勢に無勢でしたが、勝利したのはイスラエルでした。

※アラブ諸国の連合軍=エジプト、シリア、トランスヨルダン、サウジアラビア、イラク、レバノン、パレスチナのアラブ人部隊を加えた軍勢


中東戦争とパレスチナ難民

中東戦争は、大きなもので、これまで4次にわたりました。いずれも、イスラエルが優勢でした。アメリカの後ろ盾があったからです。また、ユダヤ人の中には、第2次世界対戦に参戦した人が多く、戦術に長けていたことともその理由といわれています。そして、ユダヤ人は、当初の国連分割案よりも、さらに多くの土地を手に入れます。さらには、国際管理地区の聖地エルサレムをも占拠する勢いでした。今ではパレスチナの80%を領土としています。

結果として、多くのアラブ人は、土地を失って、難民となりました。難民となったアラブ人は「パレスチナ難民」と呼ばれるようになりました。

※中東問題(中東戦争など)で難民となったアラブ人は、「自らの故郷をパレスチナ」とする強い自覚が生まれ、「パレスチナ人」という呼称ができました。つまり、パレスチナ人とは難民となったアラブ人のことで、もともと「パレスチナ人」という人種や民族がいたわけではありません。現在では、中東地域に住むアラブ人を「パレスチナ人」と呼ぶことが一般的になっています。

その後も、アラブ人はパレスティナ開放を掲げ、過激な行動でイスラエルを攻撃してきました。それに対し、イスラエルも武力で対抗するなど、対立は続きます。

このようにパレスチナでは、今もやまない紛争が続いており、この一連の争いを「中東問題」あるいは「パレスチナ問題」と呼んでいます。

※アラブ人ほとんどはイスラム教徒です。イスラム教徒の一部のアラブ人が、土地を奪還しようと過激な行動をして、ニュースで報道されることも少なくありません。9.11でアメリカがイスラムの過激派に攻撃されたのは、アメリカがユダヤ人に味方するからと言われています。このことが、報道されることはないようですが、事件の肝は、パレスチナ問題にあると言われています。



〔参考・引用〕
中経出版「図解/池上彰の世界の宗教が面白いほどわかる本」/NHK高校講座「世界史」/wikipedia