熱心党のシモン
Column

右翼

右翼とは政治的な思想上、排他的で民族主義的な傾向が強く、極端に保守的な考え方をもつ人々の集団のこと。シモンが属していた熱心党もいわば「右翼グループ」で、イスラエルの神(唯一神/ヤハウェ)が絶対であるという立場から、ローマへの納税を拒否したり、ローマ皇帝の像を刻んだ貨幣も偶像として拒絶しました。
現代の右翼組織は、一般に、社会主義や共産主義などに敵対する立場になります。

熱心党のシモン

「Saint Simon」 Jusepe de Ribera 1630年製作
聖シモン ホセ・デ・リベーラ
プラド美術館 Madrid, スペイン


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熱心党のシモン

シモンは反ローマ帝国の過激派組織「熱心党」の出身のイエスの12弟子の一人です。イエスの復活を機に回心し、温和な福音伝道者(使徒)となりました。

熱心党は、イスラエルの神(唯一神/ヤハウェ)を非常に熱心に信仰するユダヤ民族主義のグループで、(多神教の)ローマ帝国の支配から武力で立ち上がろうという過激派集団でした。

当時熱心党は、ローマを屈服する力のある指導者を探していました。 シモンはイエスをその指導者として立て、政治的に利用しようと目論んでいたといわれています。

しかし、イエスの復活後、シモンは、イエスの教えの内容を真剣に考えはじめます。「軍隊を率いて外国の迫害者に立ち向かうのではなく、イエスは人々を罪から救うためにメシアとして来られた」ことを信じて、福音伝道者に転身したのです。

シモンはエジプトにキリスト教を伝えた後、タダイと共にペルシアとアルメニアで布教活動をしました。その後、ペルシアで鋸(のこぎり)で挽かれて殉教したと伝えられています。

※シモンやタダイの人物画には、鋸が描かれているものが多くあります。


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シモンが所属していた「熱心党」とは

熱心党は、ローマ帝国の支配から武力で立ち上がろうという過激なユダヤ民族主義のグループ。いわゆる「極右ゲリラ」組織です。ガリラヤのユダとファリサイ派のサドクにより紀元6年頃に組織されました。

ユダヤ人の祖国はイスラエルであり、ダビデの家系のユダヤ人の王によって治められるべきだと信じ、力ずくでイスラエルからローマを追い出すのを目標としていました。そして、ローマへの協力者と見なした人々やローマ人も暗殺対象としていました。 熱心党は、反ローマの急先鋒(きゅうせんぽう)として、66年にローマ帝国に対する反乱を起こしましたが、逆にローマによって鎮圧されてしまいました。

このときにシモンも死んだという伝承もありますが、信憑性は低いと考えられています。紀元70年にはエルサレムが焼かれ、神殿は破壊されました。生き残った熱心党のメンバーは、紀元73年にマサダで集団自殺しました。

※急先鋒(きゅうせんぽう)… 先頭に立って勢いよく行動したり、主張したりする人や組織。


〔参考・引用〕
創元社「聖書人物記」/日本文芸社「人物でよくわかる聖書(森実与子著)」/株式会社カンゼン「聖書の人々」/wikipedia/webio「世界宗教用語大事典」/青春出版社「地図とあらすじで読む聖書」