小ヤコブ アルファイの子/マタイと兄弟 イエスの12弟子・12使徒
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小ヤコブの「小」

小ヤコブは、大ヤコブよりも年長でした。また、特に、大ヤコブの方が、信仰が厚かったり、布教の実績が優れているなどという記録もありません。ヤコブに「小」が付されて「小ヤコブ」と呼ばれるのは、弟子になった順番が、大ヤコブより後だったからと言われています。
今でも多くの修道会では、最初に入会した者を「major(大)」と呼び、あとから入会した者は、たとえ年長であっても、聖徳に優れていても「minor(小)」と呼ばれています。

〔参考・出典〕
ヤコブス・デ・ウォラギネ「黄金伝説」
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小ヤコブの祝祭日

ローマ・カトリックでは、5月3日を小ヤコブの祝祭日としています。これは、ローマの十二使徒大聖堂が献堂された折、フィリポと小ヤコブの遺骨が祭壇の下に安置されたためと言われています(フィリポの祝祭日も5月3日)。
フランスでは「聖小ヤコブの日(5月3日)に雨が降ると、その影響が聖大ヤコブの日(7月25日)まで続く」と言われているそうです。なお、小ヤコブは薬剤師と末期患者の守護聖人とされています。

〔参考・出典〕
聖書人物記(創元社)
website「carbuncle」
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小ヤコブ迫害者のために祈り続けた

聖小ヤコブ ピーテル・パウル・ルーベンス
1610~1612年製作 プラド美術館


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小ヤコブ

小ヤコブは「アルファイの子ヤコブ」と言われます。12使徒の中に大ヤコブがいますが、こちらは「ゼベダイの子ヤコブ」です。2人の使徒を区別するために、「小ヤコブ」、「大ヤコブ」と呼ばれています。なお、小ヤコブは、使徒マタイの兄弟です。

小ヤコブは、信仰が厚く、敬虔な人物であったと言われています。教会史家のヘゲシッポスは次のように記しています。

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(小ヤコブは)母の胎内にいるときから聖別され、ぶどう酒や濃い酒を飲まず、命あるものも食べず、かみそりを頭にあてることもなかった。彼はオリーブ油を塗りもしなければ風呂にも入らなかった。そして彼だけに聖所に入ることが許された。彼が毛ではなく、つねに極上の亜麻布をまとっていたからである。彼はただ一人で神殿に入って脆き、民の罪の赦しを祈るのだった。そして、絶えず脆いて神に祈り、民のために赦しを乞うために、彼の膝頭(ひざがしら)はらくだのように固くなった。

ヘゲシッポス(教会史家/110~180年頃)の著作
聖書人物記(創元社)より

※ペテロがエルサレムを去った後、初期エルサレム教会を指導したのは小ヤコブだという説もあります。一方で、初期エルサレム教会の指導者となったのは、イエスのいとこのヤコブだという説もあります。イエスのいとこにもヤコブという人物がいたため混同されているようです。

※新約聖書には、使徒リストに「アルファイの子ヤコブ」として登場しますが、出身や弟子になったいきさつの記録はありません。


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イエスと似ていた小ヤコブ

小ヤコブは「主の兄弟」と呼ばれるほどイエスと顔かたちが似ており、多くの人々が彼をイエスと間違えるほどであったと伝えられています。イエスが逮捕するとき、ユダが接吻して知らせたのは、間違って小ヤコブを連行しないようにしたたためといわれています。

※ユダ自身はイエスの弟子として、生活をともにしている間柄だったため、ふたりをよく見分けることができたのです。


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小ヤコブの殉教

小ヤコブが司教となって7年目の復活祭の当日、神殿でユダヤ教徒たちに向かって宣教していました。ユダヤ教徒は改宗しようと、キリスト教の洗礼を受けようとしていました。そのとき、ひとりの男が神殿に入ってきて叫びました。「イスラエルの人々よ、なんということをするのか。この魔術師たちにだまされてみたいというのか」そして、小ヤコブが説教をしている階段を上がっていって、小ヤコブを階段から投げ落としました。このとき以来、小ヤコブは片足を引きずるようになったといわれています。

過越祭のとき、ユダヤ人たちは、小ヤコブに一つの依頼をしました。それは、大衆にキリスト崇拝をやめることを説得してほしいという内容でした。小ヤコブは多くの人々から信頼されており、彼の言うことであれば、人々は聞き入れると、ユダヤ人が判断したからです。しかし、ヤコブは逆にイエスをたたえる証言を神殿の屋根から大声で叫びました。

Golden Legend

「あなたがたは、人の子についてなにが知りたいのですか。よろしいか、人の子は、天国にあって力あるおかたの右にすわっておられます。そして、そこから生きている人間たちと死者たちとを裁くために来臨されるでしょう」

ヤコブス・デ・ウォラギネ「黄金伝説」

キリスト教徒たちは、これを聞いて小おどりするほど、喜んで、説教をありがたく聞きました。一方、ユダヤ人たちは、自分たちが小ヤコブに証言を依頼した失敗に気づき、小ヤコブを屋根から突き落としました。そして、小ヤコブを石打ちにしました。それでも、ヤコブは迫害者のために祈り続けました。

最後には、布を晒す(さらす)ときに使う槌(つち)で脳天を打たれ、小ヤコブは殉教しました。ヤコブの遺体は、エルサレムの神殿のかたわらに葬られたと伝えられています。

Golden Legend

パリサイ人と律法学者たちは、こう語りあった。「このようにイエスをたたえる証言をさせたのは、ひどい失敗だった。あそこへあがっていって、あの男を突き落とそう。そうすれば、民衆は、おじけついて、彼の言葉を信じなくなるだろう」そう言って、大きな声で、「これはしたり、義人でも間違いをおかすのか」と叫びたてた。
それから、屋根にのぼっていって、ヤコブを突き落とした。さらに、石を投げつけて、「かかれ、義人ヤコブを石打ちにせよ」と叫んだ。しかし、ヤコブは、下に落ちても死なず、起きあがると、ひざまずいて、「主よ、彼らをお赦しください。彼らは、なにをしているのかわからずにいるのです」と祈った。

ヤコブス・デ・ウォラギネ「黄金伝説」

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Golden Legend

そのとき、祭司たちのひとりが、ラハブの子らのなかからこう言ってたしなめた。「なんとむごいことを。そんなにまでしなくてもよいではないか。この義人は、自分を石で打つわれわれのために祈っているではないか」しかし、べつのひとりが、布を晒す(さらす)ときに使う槌(つち)をふりあげ、力まかせにヤコブの脳天を打ちすえたので、脳髄がとびちった。

ヤコブス・デ・ウォラギネ「黄金伝説」

〔参考・引用〕
創元社「聖書人物記」/日本文芸社「人物でよくわかる聖書(森実与子著)」/株式会社カンゼン「聖書の人々」/wikipedia/webio「世界宗教用語大事典」/ヤコブス・デ・ウォラギネ「黄金伝説」