聖書と歴史の学習館

マタイ徴税人出身・謙徳を持つ弟子

St Matthew and the Angel 1635-1640
聖マタイと天使/グイド・レーニ
01/05

マタイ(別名:レビ)

マタイはイエスの12使徒(12弟子)のうちのひとりです。アルファイの子であり、小ヤコブと兄弟でした。マタイの職業は徴税人で、ある日、イエスがカファルナウムの収税所の前を通りかかったときに「わたしに従いなさい」と声をかけられると、マタイは喜び勇んで、すぐにイエスに従い、弟子になりました。その当日、マタイは、イエスや弟子たちを招待し、盛大な宴会を催しました。

マタイは「随順の早さ」と「気前のよさ」という気質を持っていたようです。また、自分が徴税人であったことを隠さなかった「謙徳」もあったようです。職業柄、文字を知る弟子であったと考えられます。

イエスの昇天後は、エチオピアまたはトルコのヒエラポリスで殉教したと伝えられています。


02/05

ユダヤの裏切り者だった「徴税人」

イエスの時代、徴税人は、欲が深くて、貪欲な者がなる仕事とみなされ、人々から忌み嫌われていました。徴税人は毎年決まった額をローマに納めることになっていましたが、その徴収方法は一任されていました。そのため、徴税人は人々を脅迫するなどして、税金を余計に納めさせ、その余分を自らの収入としていました。

また、取立てた税金はユダヤの支配者のローマに納められるため、徴税人はローマの手先となった裏切り者とされていました。当時の反ローマ帝国の過激派組織「熱心党」が、徴税人を暗殺対象とするほど憎まれていました。


03/05

イエスに声をかけたれた当日に宴会を催す

ある日、イエスがガリラヤ湖畔(カファルナウム)の収税所の前を通りかかったとき、イエスはマタイに弟子になるように声を掛けました。人々から、裏切り者扱いされ、忌み嫌われている自分に声を掛けられたことがとても嬉しかったようです。すぐにイエスの言葉に従い、職やお金、家などをすべて捨ててイエスの弟子になりました。

マタイはその日のうちに、イエスのための宴会を催しました。宴会にはイエスと弟子を招待し、さらに徴税人の仲間や娼婦も多数招待しました。

これを見たユダヤ教の指導者(ファリサイ派の人々)が「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」とイエスに質問しました。これに対しイエスは答えます。「医者が必要なのは健康な人でなく、病人である。わたしが来たのは、自分を正しいと思っている人たちのためにではなく、罪人を悔い改めさせ、神に立ち返らせるためである。」

この場面は、新約聖書の3つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ)に記録されており、イエスの有名な言葉の一つとなっています。

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その後、イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」イエスはお答えになった。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

ルカによる福音書5章27節~32節
©日本聖書教会「新約聖書」

04/05

新約聖書の最初の書「マタイによる福音書」

マタイはイエスによって罪を赦されたことにより、徴税人としての自分を捨て、自分の富のためにローマに協力することも一切なくなりました。そして、イエスの弟子として人生をやり直すことを決意し、それまでとは全く違う人間に変わりました。そして、新約聖書の最初(巻頭)の書「マタイによる福音書」を記します。

マタイが記した福音書では、自らを隠すことなく「徴税人マタイ」と記しています。マタイは自分の罪や過ちを隠さずに認めたのです。マタイがそのような潔い(いさぎよい)性格だったからこそ、卑劣な徴税人から、イエスの弟子となり、使徒となり、福音を伝える者ととなり、今も崇敬される人物となっているのでしょう。

マタイによる福音書は、紀元80年~90年頃、ユダヤ教からキリスト教への改宗者(同胞のユダヤ人)へ向けたものとされ、イエスが旧約聖書で預言されている「メシヤ」であることを証すことが主目的となっている書です。このため、旧約聖書からの引用が多く含まれています。また、イエスの教えを満遍なく記されており、初代教会の時代から権威あるものとして、今も重要視されています。


05/05

マタイの殉教

イエスの死後、マタイは使徒として、各地で布教活動を行いました。ある日曜日、エチオピアの教会で説教を行ないました。その内容は、ヒルタコス王を避難するような内容が含まれていたため、王を激怒させてしまいます。説教の後、祭壇の前で手を広げて祈っていると、王が送った刑吏(けいり)により、背後から剣で刺されて殉教したと伝えられています。

※マタイは、トルコのヒエラポリスで殉教したという説もあります。

〔出典・参考〕
日本聖書教会「新約聖書」/創元社「聖書人物記」/日本文芸社「人物でよくわかる聖書(森実与子著)」/株式会社カンゼン「聖書の人々」/wikipedia/webio「世界宗教用語大事典」/ヤコブス・デ・ウォラギネ「黄金伝説」