ニコライ 日本正教会 東方正教会 ニコライ堂

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ニコライと日本正教会

初代教会の分裂と和解

395年、ローマ帝国の東西分裂により、初代教会は、地理的に西方教会(ローマ・カトリック教会)と東方正教会の2つに分かれました。このとき、教会は分裂したのではなく、交流は続いていました。

※西方教会(ローマ・カトリック教会)が西ローマ帝国にあり、東方正教会が東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のコンスタンティノープルにありました。

※ちなみにプロテスタントは、その後の宗教改革以降に西方教会(カトリック教会)から分かれました。

しかし、その後の教義の解釈の違い、首座権を争いや布教手段の考え方の違いにより対立が深まり、1054年に完全に分裂してしまいました。分裂状態は約900年続き、1965年の第2ヴァチカン公会議のときに、ようやく和解が成立しました。


カトリック教会と正教会

ローマ・カトリック教会は、西ローマ帝国の国教として発展し、ローマ教皇を頂点とする、キリスト教最大の教派です。日本では、1549年のフランシスコ・ザビエルの布教活動により広がりました。

一方、東方正教会は、東ローマ帝国の国教として発展しました。ギリシャを中心に東ヨーロッパに広がったため、「ギリシア正教会」とも呼ばれます。後のビザンツ帝国の崩壊とともに教会の保護権がロシアに移り、ロシアに広がっていったことから「ロシア正教会」とも呼ばれます。

正教徒の分布状況(wikipediaより)

正教徒の分布状況(wikipediaより)


日本人のための正教会

日本に初めて正教会が伝えられたのは、19世紀の後半。1861年、日本への伝道を決意したニコライがロシアから函館にやってきたときです。

ニコライは日本の文化を否定せずに受け入れながらキリスト教の布教活動を行いました。日本人のための日本人による正教会を目指すべく、ニコライは熱心に日本の文化を学びました。日本語を習得するとともに、「古事記」や「日本書紀」などを読み、異教である仏教までも学び、日本の風俗習慣の理解に努めました。そして日本語による祈祷や儀礼・儀式ができるように、膨大な量の祈祷書や聖書が翻訳されていきました。この翻訳は死の直前まで続けられました。


ニコライによる日本人初の洗礼者

1864年、日本人がニコライから初めて洗礼を受けます。沢辺琢磨、酒井篤礼、浦野大蔵の3名です。中でもパウェル沢辺琢磨の回心は、初代教会のパウロを彷彿とさせます。

沢辺琢磨は、坂本竜馬の従兄弟にあたる生粋の土佐藩士でした。彼は函館で剣術を教えていました。彼は最初、外国人を嫌い、ロシア人であるニコライを見て日本を毒するよくない人物と決めつけていました。ある日、ニコライに論争を持ちかけて、状況次第では、切捨ててしまおうとニコライのもとへ乗り込んでいきました。しかし、ニコライの話を聞いているうちに、その教えに心打たれ、正教会の熱心な信者となりました。そして、後に司祭となりました。


正教会の広がり

ニコライは明治5年頃、東京に伝道の本拠地を移し、正教会の伝道を熱心に行いました。教勢はめざましく発展し、日本全国に正教会の種がまかれていきました。明治18年には信徒数はすでに12,000人を越えていました。

※日本に広がった東方正教会は、現在「日本○○正教会」のように呼ばれています。

1891(明治24)年には、東京の神田駿河台にビザンチン建築様式(※)の「復活大聖堂」が建立され、ニコライの名に因んで「ニコライ堂」と呼ばれるようになりました。当時としては驚くべき大きさで荘厳なその姿は多くの人々の関心を引き寄せました。

復活大聖堂/ニコライ堂(東京都千代田区駿河台)

復活大聖堂/ニコライ堂(東京都千代田区駿河台)

※ビザンチン…東ローマ帝国(ビザンチウム)の、という意味。ビザンチン文化は、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)で栄えた文化のことで、ヘレニズムとキリスト教が融合したものです。大聖堂の内部をモザイクで飾る建築様式などが発達し、イタリアのルネサンスに大きな影響を与えました。


亜使徒ニコライ

正教会の神学校もニコライによって創立され、聖職者だけでなく、文学や芸術などのさまざまな分野で活躍する人々を輩出しました。また、正教会の信仰、教義、精神性などを伝えるために、多くの正教会関係の文書が翻訳、出版されました。ニコライは他の教派が持つような教会が運営する病院や福祉施設や大学などは創設しませんでしたが、熱心な布教活動によって、正教会はしっかりと日本に根付きました。ニコライは初代教会の使徒と同じような働きをした聖人として「亜使徒」「聖ニコライ」と呼ばれています。



〔参考・引用〕
日本正教会The Orthodox Church in Japan「日本の正教会の歴史と現代」/wikipedia/コトバンク