善悪分立の摂理

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善悪分立の摂理

善悪分立の摂理

聖書には、供え物や人物、国家などの分立(分裂)が数多く記録されています。これは、善と悪の聖別を意味していると考えられています。

例えば、動物などの生贄(供え物)を2つに裂いて捧げたことが記されています。これは、人間の堕落により、この世のすべてに悪が侵入してしまった(※)ため、万物を象徴的に善と悪に聖別し、神は善の方、サタンは悪の方に対応するためと言われています。

その理由は、神が直接的に対応できる対象は、聖別された善のみであり、悪または善と悪を同時に内包する対象には対応できないからです。

そして、神はこの世のものを善と悪に象徴的に分立し、聖別された善のみに対応しながら、人類救済の摂理をされていると言われています。

このように、神が人類救済の摂理をされる大前提は聖別です。神が対象(供え物や人物、国家など)を善と悪に象徴的に分立されることにより、聖別された善を存在させ、その善を土台(基台)として、摂理を進められます。しかし、善の側に分立された人間の不信仰や不義な行為により、再び悪が進入してしまう場合も数多く記録されています。そして、神は再びその善を分立(聖別)されて摂理を進められるという歴史が繰り返されています。

※「悪の侵入」は「悪に呪われた」と表現されることもあります。


ノアの洪水による善悪世界の分立

ノアの時代(紀元前2348年頃)、人々は淫乱に陥り、世の中に悪が蔓延(まんえん)していました。善と悪が共存する世界には神が対応することができないため、神は40日の洪水により、罪悪な世界を消し去りました。そして、神が対応できるノアの家庭を残し、神の人類救済の摂理が再出発しました。


アブラハムの供え物の分立

神はアブラハムに牛と羊と山鳩の供え物をするように命じました。そして、善悪を分立するために、2つに裂いて捧げたのですが、鳥だけは裂きませんでした。それゆえ、アブラハムの供え物は、神が対応することができず、悪(サタン/はげ鷹)が対応し、アブラハムを襲いました。

この失敗により、アブラハムの子孫はエジプトで400年の苦役(奴隷生活)を受けることになってしまいました。

アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。はげ鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。
日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。

旧約聖書/創世記 15章8節~13節(新共同訳)


アダムの分立(カインとアベル)

アダムの家庭では、アダムをカインとアベルに分立しました。アダムは堕落して、善悪を知ってしまったため、神が対応できる人物ではなくなったからです。そして、カインとアベルは、供え物をしますが、神はアベルの供え物にのみ顧みられました。

その理由は、カインを悪を象徴する対象、アベルがを善を象徴する対象として聖別し、神はアベルの供え物のみに対応することができたからと言われています。

さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。

旧約聖書/創世記 4章1節~5節(新共同訳)


エソウとヤコブ

イサクのふたごの息子、エソウ(兄)とヤコブ(弟)も、それぞれ悪を象徴する対象と善を象徴する対象とされました。そして、ヤコブが神から選ばれた者として、子孫が繁栄し、多くのイスラエルの王が誕生しました。その中のダビデ王の血筋から、紀元前4年にイエス・キリストが誕生しました。

イサクは、妻に子供ができなかったので、妻のために主に祈った。その祈りは主に聞き入れられ、妻リベカは身ごもった。
ところが、胎内で子供たちが押し合うので、リベカは、「これでは、わたしはどうなるのでしょう」と言って、主の御心を尋ねるために出かけた。主は彼女に言われた。「二つの国民があなたの胎内に宿っており/二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり/兄が弟に仕えるようになる。」
月が満ちて出産の時が来ると、胎内にはまさしく双子がいた。

旧約聖書/創世記25章21節~24節(新共同訳)

それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。「わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

新約聖書/ローマの信徒への手紙 9章10節~13節(新共同訳)


イスラエル王国の分立

イスラエル王国は、紀元前10世紀前後のソロモン王の時代に全盛期を迎えました。しかし、ソロモン王は女性問題で堕落します。結果として、イスラエル王国に悪が侵入する条件をつくってしまったため、善悪が共存する国家になってしまったのです。

具体的には、ソロモン王はエジプトのパロの娘を妻に迎えたり、神(※)の民として認められていない、諸外国から700人の妻や300人そばめを囲い入れました。つまり、善を象徴している民の中に、悪を象徴する血統を持つ民を増やしてしまったのです。さらに、ソロモン王は神が許していない外国の神々・偶像にも仕えました。

※イスラエルの神=アブラハム・イサク・ヤコブの神=唯一神のこと。エジプトなど諸外国の神とは異なります。

その結果、イスラエル王国に、悪が侵入し、善悪を内包する王国になってしまったため、北イスラエル王国と南ユダ王国に分立し、神は善を象徴する南ユダ王国を中心とした摂理を進めることになりました。

ソロモン王はファラオの娘のほかにもモアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、「あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをあなたたちの中に入れてはならない。彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。
彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。
そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。また、外国生まれの妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた
ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」
こうして主は、ソロモンに敵対する者としてエドム人ハダドを起こされた。彼はエドムの王家の血筋を引く者であった。

旧約聖書/列王記上11章1節~14節(新共同訳)


フランク王国の分裂

神の摂理は、フランク王国を中心に進められてきました。特に、「ローマ皇帝」の帝冠を与えられたチャールズ大帝(=カール大帝)以降は、「神国論(アウグスティヌス」が国家理念となり、「キリスト教王国」とも呼べる時代になりました(※1)

しかし、チャールズ大帝の孫の三人の間で紛争が起き、東フランク王国と西フランク王国に分断されました(※2)

このうち、東フランクが、善を象徴する国、神が対応し得る国となりました。そして、オットー一世によって大いに興隆し、「神聖ローマ帝国」と呼ばれるまでになりました。

※1:(西)ローマ帝国の復活とも言われます。

※2:正しくは、東フランク王国と西フランク王国と中フランク王国(イタリアと中部フランス)に三分されました(三人の孫が分割)。しかし、その後、中フランク王国はイタリアを除き、東西フランク王国に分割併合された(870年メルセン条約)ので、実質的には東西の2つのフランク王国に分立された時代になりました。

※2の補足:西フランク王国は、フランス王国などを経て現在のフランスにつながり、東フランク王国は、後の神聖ローマ帝国を経てドイツへとつながっていきます。中フランク王国に残されたイタリアは、現在のイタリアにつながったとも言われますが、その後の経緯が複雑なので、必ずしもイタリアの原型になったとは言えないようです(諸侯によって分割され、都市国家的な面積の国家群の乱立状態になりました)。


〔参考・引用〕
日本聖書教会「旧約聖書(新共同訳/口語訳)」/日本聖書教会「新約聖書(新共同訳/口語訳)」/統一教会「原理講論」/裏辺研究所「フランク王国の成立とキリスト教を巡る思惑」/wikipedia