ヘブライズムとヘレニズムの盛衰

ルネサンスと宗教改革

神は人類を救うべく、メシヤを遣わす摂理を進めてこられた。しかし、無条件に堕落世界にメシヤを送っても、サタンの手玉に取られるだけである。そこで神はヘブライズムを思想とする基盤を築いてきた。しかし、人間自らがその基盤を破壊してしまい、そのたびに再構築する摂理が進められた。

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カイン型とアベル型

カイン・アベルの分立は、人間が責任分担を果たせず、中心人物や民族、国家、世界にサタンが侵入したときに、神により行われる二次的な摂理である。

サタンが侵入した対象は、神とサタンの両方に対応する非原理的な立場に立ち、神は摂理を進めることができなくなる。そこで、神は対象を2つに裂き、アベル側(型)を中心として、摂理を展開される。そして、アベル型を拡大させた上で、カイン型がアベル型に屈伏する、あるいは、カイン型がアベル型に吸収・融合されることにより、メシヤを迎えるための基台が造成される。

中世ヨーロッパにおいて、教皇庁が腐敗したときには、ヘレニズムとヘブライズムの2つの文化圏に分立された。ヘレニズムは、人間中心主義、合理主義であり、摂理の中では「カイン型」に位置する。一方、ヘブライズムは、人間を否定し、神中心の思想を持つ「アベル型」である。

DIVINE PRINCIPLE ▼
メシヤ降臨準備時代において、ユダヤ民族がギリシャの属領となることにより、ヘレニズムがヘブライズムを支配した時代を、実体的な同時性として蕩減復帰する時代となるのである。あたかもカインがアベルに屈伏して、初めてアダムに侵入したサタンを分立させ、メシヤを迎えるための「実体基台」が造成できるように、カイン型であるヘレニズムがアベル型であるヘブライズムに完全に屈伏することによって、初めて中世的指導精神に侵入したサタンを分立させ、再臨主を迎えるための「実体基台」が世界的に造成されるのである。

出典:原理講論「メシヤ再降臨準備時代」

旧約時代のメシヤを迎えるための基盤

前11世紀頃、神の選民であるイスラエル民族により統一王国が建国され、三代目の王ソロモンの時代に大いに栄えた。その繁栄ぶりは「ソロモンの栄華」と表現され、ヘブライ文明は最盛期を迎えた。旧約聖書の歴代誌によると、ソロモン王は世界中の王の中で最も大きな富と知恵をもち、全世界の人々がソロモンの知恵を聞くために、競うように献上品をたずさえてやってきたという。神は、メシヤを送るべく、ソロモンを中心人物として立て、ヘブライズムの基盤を築き、定着・拡大させる摂理を進めてこられたのである。

しかし、ソロモン王は、自らの富と知恵に溺れ、多くの異国の女性たちを愛し、落した。それだけでなく、彼女たちの崇拝する神に馴れ親しんだ。イスラエル民族の唯一神ヤハウェに対する背信である。ここに統一王国は腐敗し、滅亡へと向うことになった。

神は、摂理を担う人物や民族、国が、堕落・腐敗した場合には、2つに裂いて摂理を進められる。アダムが堕落した際にはカインとアベルに分立、アブラハムの時代には、エサウとヤコブ、モーセの時代には、エジプトとイスラエル民族に分立された。同様に、統一王国は、前975年のソロモンの死後、ただちに北イスラエルと南ユダの2つの王国に裂かれた。

Old Testament ▼
そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。 ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」

出典:旧約聖書「列王記上」第11章
日本聖書協会/旧約聖書 新共同訳

ヘブライズムの衰退

分立した2つの王国において、イスラエル民族は不信仰極まりなかった。神が遣わした預言者の再三の忠告にも従わず、悔い改めることがなかったので、結局は、国力が分散したまま、周辺諸国の好餌となり、滅亡へと向かった。

北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ(前722)、南ユダはバビロニアに滅ぼされ(前588)、統一王国は完全に消滅した。すなわち、メシヤを迎えるためのヘブライズムの基盤が完全に破壊されてしまった。

イスラエル民族は、他国に強制移住させられたが、前539年に、アケメネス朝により、バビロニアが滅ぼされると、翌年イスラエル民族はエルサレムへの帰還が許可された。民族はエルサレムに神殿の再建を開始、前515年には、神殿が完成した。彼らはユダヤ教を確立し、メシヤ降臨を待ち望んだ。この頃から、イスラエル民族はユダヤ民族とよばれるようになった。

しかし、彼らを取り巻く情勢は思わしくなかった。前333年にギリシャの属国となり、前63年にはギリシャ文明圏にあったローマの属国となった。すなわち、統一王国滅亡からメシヤ降臨までの期間は、ヘブライズムがヘレニズムの支配を受ける時代となった。

DIVINE PRINCIPLE ▼
当時のイスラエルの王が「信仰基台」を立て、人民と共に神殿を奉ずることによってつくられる「実体基台」の上で「メシヤのための基台」を造成し、メシヤを迎えたならば、そのときにヘブライ文明圏はギリシャ文明圏を吸収して、一つの世界的な文明圏を形成したはずであった。しかし、彼らが神のみ意のとおりにその責任分担を遂行しなかったので、このみ旨は成就されなかったのである。それゆえに、彼らはバビロンに捕虜として捕らえられていったが、帰還したのち、紀元前三三三年ギリシャに属国とされたときから、紀元前六三年ギリシャ文明圏にあったローマの属国となり、イエスが降臨なさるまでの期間は、ヘブライズムがヘレニズムに隷属する時代となった。

出典:原理講論「メシヤ再降臨準備時代」

キリスト教に引き継がれ、ヘブライズムは再興

ユダヤ民族は、エルサレムに神殿を築いたものの、ローマに隷属しており、メシヤを迎えるたヘブライズムの基盤としては、ソロモンの時代とは比較にならないほど、ごく小さなものになってしまった。思わしくない情勢のまま、ときが満ちて、メシヤであるイエスを迎えた。しかし、信仰が形式化していた民族はイエスを受け入れることができなかった。イエスは、神の国の建国を訴えたものの、結局、イスラエル民族からは宗教的な異端者、ローマからは反逆者として処刑されてしまった。イエスの活動期間はわずか3年であった。このように、イエスが苦難の道を歩まざるを得なくなったのは、摂理的に見れば、ソロモンの不信に端を発している。

イエスの死後、復活したイエスを目にした弟子たちは、信仰心が高まり、初代キリスト教会を立ち上げた。その後、パウロの異邦人伝道により、世界宗教へと拡大させる基礎をつくった。

ローマ帝国においては激しい迫害を受け続けた。しかし、キリスト教は拡大していき、313年のミラノ勅令で公認され、392年にはローマ帝国がキリスト教を国教化した。

その後、キリスト教は欧州全土に拡大し、ローマ教皇を中心とした世界が築かれていった。すなわち、へブライズムは勢力を伸ばしてゆき、ヘレニズムは衰退した。

世界的にメシヤを迎えるための基盤

中世ヨーロッパでは、教皇を中心とするローマ教会が絶対的な権威を持つようになっていた。神を絶対視し、人間を罪深いものとする、神中心・人間否定の思想、すなわちヘブライズムが人々の社会生活を完全に支配していた。その支配力は、人々の内面性だけでなく、経済的な支配にまで及んでいた。人間中心の思想を持つヘレニズムは、そこに吸収され、ヘブライズムの大きな基盤が築かれた。かってのソロモン王の時代と相似形の基盤ができており、神はこの基盤を定着・拡大させ、そこに再臨のメシヤを送り、人類救済を進める摂理であった。

しかし、教会が絶対的な権威を持つ中、聖職者の中には、収入を維持するために聖職を売買する者も現れ、世俗の領主と変わらない支配者となっていた。また、清貧の思想を人々に押し付ける一方で、教会は宥状(免罪符)の発行により得られる利益は、僧侶の贅沢に使われていた。ソロモンの時代と同じく、中世のローマ教会は堕落と腐敗に陥っていった。

歴史の教訓そのままに、教皇を中心とした世界は二つに裂かれた。すなわち、神中心主義のヘブライズムが圧倒的に優勢であった世界に、文芸復興(ルネサンス)により、人間中心主義のヘレニズムが復活したのである。さらに、ヘレニズムはヘブライズムを凌駕するほど広がった。かつて、イエスを迎えた時代と同様の情勢となり、現代に至っている。

ルネサンスと宗教改革

教皇庁が腐敗した結果、神の名ゆえに、人々は苦しむことになった。教会に失望した人々は「神はもう沢山だ!」と言わんばかりに、神から離れていった。そして、人間性を抑圧してきた中世のローマ教会の束縛から、人間本来の精神を解放し、人間のあり方を考えようとする動き「文芸復興(ルネサンス)」が広がった。このとき注目されたのが、古代ギリシア・ローマの文化であった。「ルネサンス」とはフランス語で「再生」を意味する。人々は、中世のキリスト教の価値観にとらわれずに、人間中心主義のヘレニズム精神のもと、古代ギリシア・ローマの文化の再生し、人間性の復活をを目指した。

一方、キリスト教の精神が間違っているのではなく、教会の腐敗自体を非難する人々がいた。14世紀には、ウィクリフ、フス、サヴォナローラといった教会改革をしようとする動きがあったが、うまくいかず、最終的には宗教会議にかけられ、有罪にされ、焚刑にされてしまった。

本格的な改革に成功したのは16世紀であった。ドイツの神学者マルティン・ルターは異議を唱え、「95か条の論題」を発表。教会のあり方を問いただし、初代キリスト教会の精神にたちかえることを主張した。ルターの考えは、ローマ教皇に批判的だった周辺の諸侯の支持を得て、宗教改革は広がりを見せた。そして、ローマ教会(カトリック)から、新しい宗派「プロテスタント」が生まれた。プロテスタントとは、「(ローマ教会へ)抗議する者」という意味である。1536年、フランス人の宗教改革者カルヴァンが、プロテスタントの教義を体系化した「キリスト教綱要」を出版。神中心主義のヘブライズム精神の拡大を目指した。やがてカルヴァンの改革は、フランスやオランダ、イギリスなどにも広がっていった。

このように、ルネサンスが神から遠ざかる方向性を持つことに対し、宗教改革は、本来の神に近づこうとする方向性を持っている。教皇庁の腐敗により、神はカイン型とアベル型の2つの世界に分立させる摂理を進めざるを得なくなったのだ。つまり、ヘブライズムの中心であった教皇庁の腐敗がなければ、ルネサンスも宗教改革も起こらなかったはずである。神はヘブライズムをさらに拡大し、より大きな基盤の上に、メシヤを遣わされる摂理になっていたからである。

DIVINE PRINCIPLE ▼
「信仰基台」を復帰する、内的な使命を果たすべきであった法王たちの落によって、侵入したサタンを分立して、創造本性を復帰しようとした中世の人々は、その本性の内外両面の追求によって、中世的指導精神をカインとアベルの二つの型の思想の復古運動として分立させたのであった。その第一は、カイン型思想であるヘレニズムの復古運動であり、第二は、アベル型思想であるヘブライズムの復古運動である。ヘレニズムの復古運動は、人本主義の発現である文芸復興を引き起こし、ヘブライズムの復古運動は、神本主義の復活のための宗教改革を引き起こしたのである。

出典:原理講論「メシヤ再降臨準備時代」


〔参考文献〕
NHK高校講座「世界史」/山川出版社「詳説 世界史研究」/Ussher's Chronology/日本聖書教会「旧約聖書(新共同訳/口語訳)」/新日本聖書刊行会「新改訳聖書第三版」/世界平和統一家庭連合「原理講論」