新しい真理の出現

新しい真理の出現

こちらは前の記事からの続きです。



笛を吹いても、誰も踊ってくれない。
弔いの歌を歌っても、誰も胸を打たれるものはいない。


これは、新約聖書に記録されている言葉で、イエス・キリストが人々に教えを伝えているときの様子を喩えた句です。

神は人類救済の第一段階として、選民であるユダヤ民族のもとにメシヤであるイエスを遣わしました。イエスは、神に準備された最高の律法学者たち(パリサイ人)に、教え(※)を伝えようとします。しかし、律法学者たちは、自らの学識とイエスの言動がかけ離れていたために、イエスに応じようとしませんでした。

※人類をいかに復帰させ、幸せを実現するかなど

そのため、イエスの伝道の対象は、字も読めないような漁師や取税人、娼婦などに移ります。そのため、イエスの教えは「ぶどうの木」や「羊」、「岩」などを用いた喩え話が多くなっています。

イエスは、本来伝えるべきことを、直接的に伝えることができずに、十字架で処刑されてしまいました。そのため「私はまた来る」と言って、その使命は再臨のメシヤに委ねられることになりました。

新約聖書のヨハネの黙示録には次のような預言があります。

わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。
しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。
巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。
すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。

日本聖書教会「新約聖書(口語訳)」ヨハネの黙示録 5章1節~5節

上記の聖句に「ダビデの子」という語句があります。イエスは「ダビデの子」であり、新約聖書の中では、メシヤの代名詞となっており、ダビデの若枝とは、再臨のメシヤ(再臨主)を意味しています。

上記の聖句からは「再臨のメシヤが勝利をし、封印を解くことができるようになった」と読み解くことができます。

巻物には、イエスが比喩や喩えでしか表現できなかった真理が記述されており、再臨のメシヤが明らかにし、私たちに幸福へ導く奥義を伝授してくださることを、世界中のキリスト教徒たちが待ち望んでいます。


新しい真理が出現するのは今

ところで、この巻物の内容は、すでに明かされたのでしょうか。現実を見ると、世の中には、多くの哲学書、啓蒙書などがありますが、未だに平和で幸福な世界は実現していません。人生についてもわからないことばかりで、いわば「人生不可解なり」というのが現状ではないでしょうか。

では、巻物の真理が未だ明かされていないとするならば、いつ明かされるのでしょうか。結論から言えば、今現在が再臨のメシヤが出現し、真理が明かされるときであると考えられています。

その根拠の一つが、聖書の解釈です。端的にいえば、ヤコブという人物が神からイスラエルという名前をもらって、イスラエル選民となり、それから2000年後、ギリシャ、ローマの文明が栄え、イエス・キリストが降臨されました。

さらに2000年経った今、再び文明が急速に栄え、人々は豊かな生活を営んでいます。日本を見ても、例えば徳川時代は300年続きましたが、初めから終わりまで、刀をぶら下げて、チョンマゲの時代で、目立った科学の進展などは見られませんでした。しかし、終戦後のわずか数十年の間に、エレクトロニクス時代を迎え、人工衛星を飛ばし、今では、インターネット・IT時代となるなど大躍進を遂げました。つまり、過去の何百年の間にできなかったことを今は数年の間にやり遂げてしまうという密度の高い時代を迎えているのです。

このような現状を見ると今は特別な時であることがわかります。今が再臨のメシヤを迎える重要な時であるということが直観的に認識できるのではないでしょうか。

※再臨のメシヤを迎える時であるというより具体的な根拠は、別の記事にて紹介させていただきます。

こちらは次の記事へ続きます。


〔参考・引用〕
日本聖書教会「新約聖書(新共同訳/口語訳)」/新日本聖書刊行会「新改訳聖書第三版」/倉原克直氏「総序」