聖書と歴史の学習館

新しい真理とその使命

01/04

使命を果たせなかったメシヤ

神は人類救済の最終段階として、選民であるユダヤ民族のもとにメシヤであるイエスを遣わしました。 イエスは、神に準備された最高の律法学者(パリサイ人)たちに、「福音(※)」を伝えようとします。 しかし、律法学者たちは、自らの学識とイエスの言動が、あまりにかけ離れていたために、イエスを異端視し、応じようとしませんでした。

※いかにして、人類を堕落状態から復帰させ、万民の幸せを実現するか。いかに神の国を実現させるかなど

次の引用は、新約聖書に記録されている言葉で、イエスが人々に教えを伝えているときの様子を喩えた聖句です。

笛を吹いても、誰も踊りはしない。
弔いの歌を歌っても、誰も胸を打たれるものはいない。

ルカによる福音書 7章 32節

イエスは止むを得ず、字も読めないような漁師や取税人、娼婦などを福音を伝えるようになりました。そのため、イエスの教えは「ぶどうの木」や「羊」、「岩」などを用いた喩え話が多くなっています。

イエスは、本来伝えるべきことを、直接的に伝えることができずに、十字架で処刑されてしまいました。そのため「私はまた来る」と言われ、その使命は再臨のメシヤに委ねられることになりました。


02/04

再臨のメシヤが現れ奥義を伝授

新約聖書のヨハネの黙示録には次のような預言があります。

わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
また、ひとりの強い御使が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。
しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。
巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。
すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。日本聖書教会「新約聖書(口語訳)」ヨハネの黙示録 5章1節~5節

上記の聖句に「ダビデの子」という語句があります。イエスは「ダビデの子」であり、新約聖書の中では、メシヤの代名詞となっており、「ダビデの若枝」は、再臨のメシヤ(再臨主)を意味しています。

上記の聖句からは「再臨のメシヤが勝利をし、封印を解くことができるようになった」と読み解くことができます。

巻物には、イエスが比喩や喩えでしか表現できなかった真理が書かれています。世界中のキリスト教徒たちは、再臨のメシヤが現れ、封印を解き、真理を明らかにし、私たちに幸福へ導く奥義を伝授してくださることを待ち望んでいます。


03/04

新しい真理が出現するのは現代

ところで、この巻物の内容は、すでに明かされたのでしょうか。現実を見ると、世の中には、多くの哲学書、啓蒙書などがありますが、未だに平和で幸福な世界は実現していません。人生についてもわからないことばかりで、いわば「人生不可解なり」というのが現状ではないでしょうか。

現在、さまざまな思想やイデオロギーがありますが、哲学者をはじめとする人類が真理を探求し続けているということは、まだ、問題が未解決であり、どこかにその解答があるということを信じている証しではないでしょうか。

では、巻物の真理が未だ明かされていないとするならば、いつ明かされるのでしょうか。結論から言えば、今現在が再臨のメシヤが出現し、真理が明かされるときであると考えられています。

その根拠の一つが、聖書の解釈です。端的にいえば、ヤコブという人物が神からイスラエルという名前をもらって、イスラエル選民となり、それから2000年後、ギリシャ、ローマの文明が栄え、イエス・キリストが降臨されました。

さらに2000年経った今、再び文明が急速に栄え、人々は豊かな生活を営んでいます。日本を見ても、例えば徳川時代は300年続きましたが、初めから終わりまで、刀をぶら下げて、チョンマゲの時代で、目立った科学の進展などは見られませんでした。しかし、終戦後のわずか数十年の間に、エレクトロニクス時代を迎え、人工衛星を飛ばし、今では、インターネット・IT時代となるなど大躍進を遂げました。つまり、過去の何百年の間にできなかったことを今は数年の間にやり遂げてしまうという密度の高い時代を迎えているのです。

このような現状を見ると今は特別な時であることがわかります。今が再臨のメシヤを迎える重要な時であるということが直観的に認識できるのではないでしょうか。

※現代が再臨のメシヤを迎える時であるというより論理的な根拠は、別の記事にて紹介させていただきます。


04/04

新しい真理の使命

それでは、新しい真理が現れたとするならば、それはどのような内容であるべきでしょうか。人間は矛盾状態(破滅状態)にあり、それが「堕落」と表現することをこれまで論じてきました。新しい真理は、その堕落状態から、本来の状態に戻すべき方法(人間の復帰の方法)が示されていなければなりません。その内容について、ここで壊れた家電製品を例に考えてみます。

本来の状態を知る

壊れた家電製品を修理しようとしたら、そもそも正常な状態はどういうものなのかを知らなければなりません。正常な状態を知らずにもとの正常な家電製品に戻すことはできないからです。

例えば、冷蔵庫の場合、冷蔵庫は食物を低温状態で冷やして、長期間の保管を可能にするものです。当然のことですが、人間は堕落して、本来の人間はどのような姿(状態)なのかがわからなくなってしまいました。

それゆえ、新しい真理は、人間の本来の姿をはっきりと示す内容でなければなりません。

私たち人間が今堕落しているというのなら、本来の人間はどういうものなのかを示す必要があるのです。例えば、死んだらどうなるのか、この広大な宇宙の中で私が存在している意義(※)は何かあるのか、何のために人間は存在しているかなどです。

※人間は誰でも「あなたの存在は無意味ですよ」などと言われたら、不愉快になります。しかし、大切にされると嬉しい気持ちになります。このことは、人間には何か価値があるという証拠といえるでしょう。

壊れた原因を知る

壊れた家電製品を修理しようとしたら、何が原因で故障したのかを知る必要もあります。故障の原因がわからずに、正常に戻しても、その原因を解決しない限りは、再び故障してしまう可能性があります。故障の原因を突き止め、故障の原因を解決しておく必要があります。

新しい真理は、何が原因で人間が堕落してしまったのかを示す内容でなければなりません。しかも、神話の中で 何かを喩えたような失敗談ではなく、現代人でも納得できるような、具体的な堕落の原因を明らかにする必要があります。

修理方法を知る

正常な家電製品の状態と故障の原因がわかっても、修理方法を知らなければ修理できません。

新しい真理は堕落した人間は、どうすれば本来の状況に戻れるのか(復帰できるのか)を示す内容でなければなりません。

Divine Principle

したがって、その新しい真理は、堕落人間が、その創造本然の人間へと帰っていくことができるように、神が人間をはじめとして、この被造世界を創造されたその目的はいったい何であったかということを教え、復帰過程の途上にある堕落人間の究極的な目的が、いったい何であるかということを知らしめるものでなければならない。また、人間は果たして聖書に書かれているように、文字どおり、善悪を知る木の果を取って食べることによって堕落したのであろうか、それとも、もしそうでないとすれば、堕落の原因はいったいどこにあったのであろうか。完全無欠であるはずの神が、いったいどうして堕落の可能性のある人間を創造され、全知全能の神が、彼らが堕落するということを知っていながら、どうしてそれを食い止めることができなかったのか。また神はなぜその創造の権能によって、一時に罪悪人間を救うことができないのであろうか等々、実に、長い歴史の期間を通じて思索する人々の心を悩ませてきたあらゆる問題が、完全に解かれなければならないのである。

原理講論「総序」
〔出典・参考〕
日本聖書教会「新約聖書」/倉原克直氏「総序」