聖書の歴史観

聖書の歴史観

こちらは前の記事からの続きです。


人類が誕生してまもなく堕落して、そこから復帰すべく歴史が流れているという捉え方が、堕落を考慮に入れた人類歴史の捉え方でした。聖書を紐解いていくと、この考え方が貫かれていることがわかります。


聖書の歴史観

聖書によると、神による天地創造の最終段階で、人類の始祖であるアダムとエバを創造しました。しかし、ヘビにそそのかされて、堕落してしまいました。もし、堕落しなければ、そこから本来の歴史(神の国)が出発するはずでした。

しかし、人間は堕落してしまったため、神による救いの歴史(復帰の歴史)として、人類歴史が流れてきました。

神は、救い主(メシヤ)として、イエス・キリストを選民であるイスラエル民族(=ユダヤ民族)のもとに送ります。しかし、当時のユダヤ人たちは、自らが抱いていた救い主のイメージとイエスのイメージがあまりに違っていたために殺害してしまいました。神による人類の救いの摂理は失敗し、再びゼロからのスタートとなりました。

つまり、アダムとエバが堕落した直後の状態と同じ位置に戻ってしまったことになります。いわば「再堕落」です。

そして、神はもう一度、救いの摂理をやり直します。もう一度、メシヤを遣わし、人類が救わるチャンスが現代です。

聖書の歴史観の図

年数
聖書の歴史を文字どおりに解釈すると、上の図のようになり、人類始祖から現代までが約6000年となります。
イスラエル民族
ヤコブという人物が、天使との戦いに勝利して、メシヤを使わすための条件が整いました。ヤコブはその戦いに勝利したため、「イスラエル」という名を神から授かります。ヤコブの子孫を「イスラエル民族」と呼び、神から選ばれた民族(選民)となりました。そして、神はイスラエル民族にメシヤを遣わす約束(旧約)をされ、イスラエル民族は、日々、メシヤの降臨を待ち望んでいました。ユダヤ教徒のうち、イエスをメシヤと認めていない信徒は、今でもメシヤの降臨を待ち望んでいます。
イエスの殺害とユダヤ民族の運命
神がやっとの思いで送ったメシヤでしたが、イスラエル民族(=ユダヤ民族)は、イエス・キリストを受け入れることができませんでした。彼らは「世を惑わす者」「悪霊に取り憑かれた男」「悪鬼の頭」「疫病のような男」などと言って、最後には、ゴルゴダの丘で十字架に架けて虐殺してしまいました。イエスはユダヤ民族に対し「あなた方は神様に捨てられるであろう」と言いました。その後、ユダヤ民族は1943年にイスラエルが建国されるまで約2000年間、放浪の民族となりました。
キリスト教の始まり
イエスが殺されず、使命を果たすことができたなら、そこから本来の歴史(神の国)が始まるはずでした。しかし、イエスはその使命を果たせず処刑されてしまいます。イエスは十字架で殺されるとき、「私は使命のすべてを達成できなかった。だから私はもう一度来る」と言われました。これが新しい約束(新約)です。このときから始まったのが、キリスト教です。現在、イスラエル民族(ユダヤ教)に代わって、クリスチャンたちがメシヤの再臨を待ち望んでいます。
メシヤを遣わす時期
神の人類救済の摂理において、メシヤを遣わすためには、時間的な条件も必要でした。そのため、イエスが30歳のときに伝道を始めた第一声は「見よ!『ときは満ちて』神の国が近づいた。汝ら悔い改めて福音信ぜよ!」でした。イスラエル民族の不信により、イエスを殺害してしまったため、メシヤの再臨までは、約2000年の期間を要することになります。

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〔参考・引用〕
世界平和統一家庭連合「原理講論」/倉原克直氏「総序」