人間の矛盾性

人間の矛盾性

こちらは前の記事からの続きです。


正反対の結果につながる2つの欲望

人間は、欲望が満たされると、幸福になります。しかし、不幸になることもあります。この幸福、不幸の結果に着目すると、幸福につながる「義なる欲望」と不幸につながる「不義なる欲望」の2つのタイプに分類されます。

つまり、一人の人間の中に正反対の2つの指向性を持つ欲望が内在しているという事実を発見することができます。


人間は壊れた状態で存在している

ところで存在するものは、いかなるものも、一つの個体の中に同時に正反対の目的を持って存在できるものはありません。

例えば、東の方向へ向うバスには、何人乗客がいようとも、東に行くという同じ目的を持った人が乗っているべきです。しかし、西に行く人がも乗っていたらどうなるでしょうか。しかも、西に行く乗客の方がより多く、西へ行くことを言い張ったらどうなるでしょうか。喧嘩が起こり、運転手はどちらに行ってよいのか混乱してしまうことでしょう。

これと同等なことが、人間に起こっているのです。幸福に向う義なる欲望を持っているものの、これとは正反対の不幸に向う不義なる欲望も同時に持っているのです。この2つの欲望を持ってしまったとき、葛藤(※)が起こります。幸福を求めて行動しているのに、結果として、不幸に到達してしまうことがあるのです。

※葛藤が起こるのは、相反する指向性を目的が共存することができないからです。

※人間全般を考えた場合、不義なる欲望に傾きやすい傾向にあるといわれています。

もう一つ例を挙げると、コップは水を入れる目的に存在するものです。しかし、水を漏らすという正反対の目的も同時に持ってしまった場合(つまり穴があいたコップ)は、もはやコップの役割は果たさず、コップとは呼べないでしょう。壊れたコップです。

このように、一つの存在が全く正反対の目的も持って存在するということは不可能なのです。存在しているとしても、壊れた状態です。

このように人間の欲望を分析してみると、存在できない状態で存在しているということになります。コップの例でいえば「壊れた人間」です。このような人間の状態を哲学では「矛盾」と呼び、キリスト教などの宗教では「堕落」と呼んでいます。


矛盾している社会

このように、人間は誰もが幸福になりたいと願っていながら、自分には行きたくない不幸に引っ張っていくようなもう一つの指向性を持っています。そのため、幸福を得るためには、幸福に行くことを妨げている欲望「不義なる欲望」を除去する必要があります。この不義なる欲望をなんとかしようと、昔から修道者たちが戦い(難行・苦行)に挑み、滝に打たれたり、断食をしたりしてきました。

私たちはよく「世の中が狂っている」、「社会が矛盾している」などといいます。しかし、社会や家庭をつくっている人間自身が矛盾しているのです。そのような人間が社会をつくれば、当然矛盾した社会になってしまうのです。

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〔参考・引用〕
世界平和統一家庭連合「原理講論」/倉原克直氏「総序」