終末論における「終末」の定義

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終末とは

世の中で言われる「終末論」

フランスの医師・占星術師ノストラダムス(※)が「1999年七の月に恐怖の大王の降臨によって人類が滅亡する」と予言したことを受け、20世紀末頃には、動揺させられた人々も多くおられ、いわゆる「ノストラダムス現象」が起こりました。

他にも、世紀末という時代的な背景も相まって、核戦争や環境破壊、エネルギー枯渇などに起因する人類の滅亡や宇宙自体が焼け落ちてしまうなど、この世の「終末」に関する噂が流布しました。

※ノストラダムス(1503.12.14 - 1566.7.2)

※本来「終末論」は、哲学の「目的論」の一部です。目的論とは、世界や社会、自然、人間などの存在目的を考察する哲学の一部門です。

※「終末」とは、本来、哲学的な思想で「歴史には終わりがあり、それが歴史そのものの目的でもある」という考え方のことです。

キリスト教では、神(善)と悪魔(悪)との最終決戦が行われ、神が勝利し、「最後の審判」によって悪人が一掃され、神の教えに忠実であった「善人」のみが生き残るというような思想があります。

仏教には「末法の世」という思想があり、ヒンドゥー教にも「マリ経典」の中に終末についての教えがあります。


人類の復帰歴史における「終末」

もし、人類始祖(アダムとエバ)が堕落せずに、本然の歴史が始まっていたら、神の国は永遠なので、終末という概念すらなかったはずです。しかし、堕落した結果、人類歴史はサタン世界の中から始まりました。神は人間を、堕落する以前の状態に戻すべく、人類は「復帰の歴史」を歩んできました。そして、復帰歴史の向う先は「神の国」。つまり、人類歴史の目的は「神の国の実現」といえます。

病気で入院した病人が、闘病生活を終え、もとの生活(希望の生活)に戻るように、復帰歴史にも終わりがあり、それを「終末」といいます。終末を迎えると、復帰の歴史から本然の歴史に移り変わるのです。

終末とは、堕落によってはじまったサタンの世界が終わって、神の国が実現するとき。恐怖のときでも、天変地異が起こるときでもありません。神の摂理から見れば、最大の希望のときなのです。

復帰歴史・終末のイメージ図

人類始祖の堕落がなければ、すぐに本然の歴史が始まるはずであった。しかし、堕落により、マイナスの位置に落ちて、元の位置(ゼロ)に戻るべく流れてきた歴史が復帰の歴史。人類歴史が元に位置に戻った時期を「終末」という。


終末にはメシヤが現れる

神の国が始まった直後に人類始祖であるアダムの堕落し、復帰歴史が始まりました。復帰歴史が終わり、堕落前の元に位置まで復帰し、神の国が始まろうとするときには、誰かがもう一度アダムの役割を担う必要があります。その人物がメシヤ(※)です。つまり、終末は、サタン世界が終わり、神の国実現のときであり、メシヤ降臨のときでもあるのです。

※メシヤは「後のアダム」「第2のアダム」などと呼ばれています。

上記のように、メシヤの使命は、アダムの使命を果たし、本然の人類始祖(人類の王)になることです。さらに、もう一つ。メシヤは堕落人間を本然の人間に戻す役割を担っています。いわゆる「人類救済」です。入院していた患者が退院するには、医師の助けが必要なように、堕落人間が救われるためには、「メシヤ(救世主)」が必要なのです。

※仏教では、時代を、正・像・末と3つの期間に分け、その最後の時を「末法の世」としています。特に「涅槃経」などでは末法の世における「救い」を説いています。

※ヒンドゥー教の「マリ経典」では、ユガ(時代)を四期に分け、現在が、第四のカリユガ期の末期であり。ヴェシュヌ神の化身カルキが白馬に乗る騎士の姿で現れ、この世界を破壊から再生させるとされると説いています。


人類は2000年前に終末を迎えていた

2000年前、メシヤであるイエス・キリストが現れました。つまり、2000年前にも人類は終末を迎えたことになります。イエスが伝道を始めたとき「見よ!時は満ちて神の国は近づけリ。汝ら悔い改めて福音を信ぜよ!」と人々に呼びかけました。イエスのこの言葉からも、終末は神の国が実現すべきときであることがわかります。

イエスが来られたとき、ユダヤ人をはじめとする人類が、イエスをメシヤであると信じ、イエスに付き従っていたら、神の国は2000年前に始まっていたはずです。しかし、人類はイエスを信じることができず、十字架で殺害してしまいました。

※当時の人々はイエスに対して、「悪霊に取り憑かれた男」、「世を惑わす男」、「疫病のような男」、「悪鬼のかしらベルゼブル」などと言って非難しました。


再び落ちた歴史

2000年前、復帰摂理が終末を迎え(時が満ち)、神の国がスタートしようとしました。しかし、「後のアダム」となるはずであったイエスを殺害してしまったために、人類の復帰歴史は、再び転落し、振り出しに戻ってしまいました。いわば「再堕落」です。

人類が誕生した頃、天使長ルーシェルがアダムを受け入れることができずに殺害(※)してしまったように、2000年前、後のアダムとして来られたイエスを人類が受け入れることができずに殺害してしまったのです。

※ここで「殺害」とは、本来の人間でなくなってしまったこと(堕落したこと)。神の主管する人間ではなく、サタンの支配下に人間が置かれてしまったこと。

いくら、人類が終末のチャンスを迎えても、神でも干渉できない人間の責任分担を全うしない限りは、本然の歴史はスタートせず、神の国も実現しないのです。

しかし、神は絶対的なお方なので「神の国実現」を断念することはありません。再び復帰の歴史が始まり、後の時代に「終末」を迎えなければなりません。そのため、メシヤであるイエスは「もう一度来る」ことを弟子たちに約束しました。つまり、再臨のメシヤ(再臨主)が来られるときが、次の終末なのです。

再復帰歴史のイメージ図

再復帰歴史


歴史は繰り返す

人類歴史を復帰の歴史であるという捉え方をした場合、終末において、降臨されたメシヤを人類が受け入れることができなかった場合、歴史は転落し、再び、復帰歴史が始まります。

端的にいえば、復帰歴史が振り出しに戻り、いわば「やり直し」になるので、同じような現象(史実)が歴史上に繰り返されることになります。聖書を紐解くと「History repeats itself.(歴史は繰り返す)」という言葉が的確にあてはまっていることがわかります(詳細は「復帰原理」)。

「歴史は繰り返す」のイメージ図

復帰歴史のやり直しが、再復帰歴史であるため、両者には類似した史実が現れるようになる

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〔参考・引用〕
世界平和統一家庭連合「原理講論」/倉原克直氏「終末論」/wikipedia