アラビアのロレンス

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アラビアのロレンス

イギリスの思惑

20世紀初頭、イギリス(大英帝国/イギリス帝国)は、世界各地に植民地を持ち、世界の覇権国家としての地位を占めていました。

第一次世界大戦で、イギリスは、オスマン帝国の統治下にあるパレスチナを奪うことを企てます。パレスチナには、オスマン帝国の支配に不満を抱き、自由を求めるアラブ人がいました。

イギリスは、思惑が一致するアラブ人に協力を求めます。アラブ人に反乱を起こさせ、イギリスにとって戦争を有利に進めることが目的でした。イギリスは、アラブ民族の有力者フサインに近づきます。そして、パレスチナを奪った際には、アラブ人の国家建設(独立)に協力すると約束します。これが、「フサイン・マクマホン協定」です。

そして、アラブの反乱(独立闘争)のために、イギリスの工作員としてアラブ人の元へ送り込まれたのが、ロレンス(トーマス・エドワード・ロレンス)

※有名な映画が「アラビアのロレンス」は、アラブ国家独立のためにアラブ人とともに戦ったイギリス軍の情報将校 ロレンスを描いた歴史映画です。


アラブ人を束ねたロレンス

ロレンスの任務は、アラブ人を支援してオスマン帝国を攻撃し、イギリスを優位に立たせることでした。ロレンスは、フサインの息子であるファイサルの軍事顧問として、ともにアラブ軍を率います。こうして1916年6月、アラブの反乱が始まりました。

しかし、アラブ軍は統率力に欠けていました。当時、アラブでは、いくつかの部族が共存して暮らしており、国という概念がなかったのです。そこでロレンスは、アラブの人々を束ねるために自ら軍の前線に立ち、彼らを勝利へと導きます。そして、次第にアラブ人は、ロレンスを信用するようになりました。ロレンスも、彼らの自由を求める純粋さに心を打たれます。

ロレンスはアラブ服を身にまとい、アラブ式の生活に徹しました。やがてロレンスは、祖国イギリスの勝利よりも、アラブの人々に自由をもたらすことを望むようになっていきました。


イギリスの裏切り

ロレンスは、アラブの人々の自由を勝ち取るために、尽力しました。1917年には、オスマン帝国最大の補給港となっていたアカバを攻め落とすことに成功し、アラブ軍は一気に優位に立ちます。

しかしこの後、祖国イギリスの予想外のふるまいに、ロレンスたちは衝撃を受けることになります。イギリスが、アラブの人々を裏切るような外交を展開していたのです。

それが1916年の「サイクス・ピコ協定」です。イギリス・フランス・ロシアで、オスマン帝国の領土を分断し、それぞれが支配することを定めたものでした。アラブと祖国イギリスの狭間で、ロレンスの心は激しく葛藤します。


アラブ人の夢 叶わず

1918年10月、アラブ軍とイギリス軍が共同で、オスマン帝国最大の軍事拠点地だったダマスカスを攻撃することになります。このときロレンスが率いたアラブ軍は、イギリスから、ある約束を取りつけます。アラブ軍がイギリス軍よりも先にダマスカスに入ることができれば、アラブによるダマスカスの支配権を認めるというものでした。

アラブ軍はオスマン軍を倒し、イギリス軍よりも早くダマスカスに入ることに成功します。そして、アラブ臨時政府を置きました。1918年11月、第一次世界大戦は休戦が成立します。戦後の国際秩序を決める「パリ講和会議」に、ロレンスはアラブ代表として出席し、アラブ独立国家樹立を訴えました。

しかし、1年後に決定した中東の地図に、アラブの独立国家はありませんでした。現在のシリア・レバノンはフランスが、イラク・ヨルダン・パレスティナはイギリスが支配化におく、委任統治領となっていました。

結局、イギリスがアラブの人々の夢を叶えることはありませんでした。



〔参考・引用〕
NHK高校講座「世界史」/wikipedia