エリヤの再臨と洗礼ヨハネ
洗礼ヨハネと再臨のエリヤ
洗礼ヨハネの使命は、メシヤの道をまっすぐにすること、イエスが神の人類救済の摂理を円滑に進めることができるよう、ユダヤ人たちにイエスがメシヤであることを証し、イエスのもとに導くことでした。
ユダヤ人たちは、洗礼ヨハネの誕生時の奇跡や荒野での修道生活を見て、彼こそがメシヤでないかと考えるほど、信望していました。
しかし、神の摂理上、洗礼ヨハネは、再臨のエリヤとして遣わされた人物でした。
エリヤとは
エリヤは、イスラエル王国の分立時代の紀元前9世紀頃、特別預言者として現れました。
※Ussher chronologyによると、エリヤの活躍は、紀元前909年~896年とされています。
初代の王ヤラベアムから始まった北イスラエルの王国では、約260年の間に19王が代わりました。彼らは互いに殺害しあい、善良な王が一人もいなかったと言われています。また、邪神(バアル神やアシラ女神)の崇拝が蔓延っており、神の人類救済の摂理の障害になっていました。このような情勢では、メシヤをが降臨しても、受け入れられるような状況ではありませんでした。
そこで、神(ヤーウェ)は、四大預言者(※1)と十二小預言者(※2)を遣わされました。さらに、特別預言者としてエリヤを遣わされ、邪神(バアル神やアシラ女神)の預言者たちを一掃する摂理をされました。そして、エリヤは、カルメル山で450人のバアルの預言者を滅ぼしました。
※1:四大預言者=イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエル
※2:十二小預言者=ホセア、ヨエル、アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼパニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキ
マラキの預言
しかし、エリヤはすべての使命を成し遂げることができませんでした。それを知る預言者マラキは、エリヤの再臨を預言しました。
見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。
旧約聖書/マラキ書4章5節~6節(口語訳)
つまり、メシヤの降臨に先立ち、(彼の道を直くするために、)預言者エリヤを遣わされると、約束されたのです。
洗礼ヨハネはエリヤだった
メシヤに先立ち、エリアが降臨し、メシヤの道をまっすぐにするということは、聖書に記録されています。そして、洗礼ヨハネがエリヤがであったことは、洗礼ヨハネの父親であるザカリヤの預言や、イエスの証言、ヨハネが自ら語った内容から読み取ることができます。
父ザカリアの証言 ------------------------------------------------------
次の引用は、洗礼ヨハネの誕生直後、父であるザカリヤが聖霊で満たされたときの預言です。
父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。…(途中略)…幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。
新約聖書/ルカによる福音書1章67節、76節~77節(新共同訳)
洗礼ヨハネが「メシヤに先立って降臨するエリヤ」であることと、「メシヤの道を(まっすぐ)に整える使命」を持っていることが読み取れます。
イエスの証言 ------------------------------------------------------
次のイエスの証言からは、洗礼ヨハネがエリヤであることが読み取れます。
あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。
新約聖書/マタイによる福音書11章14節(新共同訳)
多少、婉曲(えんきょく)な表現をされているのは、ユダヤ人たちがイエスの証言を喜んで受け入れないだろうということを知っておられたからと言われています。
イエスと弟子たちのやりとり ------------------------------------------------------
次の引用は、イエスと弟子たちのやりとりです。ここからも洗礼ヨハネ(バプテスマのヨハネ)がエリヤであることが読み取れます。
弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。
新約聖書/マタイによる福音書17章10節~13節(新共同訳)
洗礼ヨハネ自身の証言 ------------------------------------------------------
次の引用は、洗礼ヨハネ自身がその使命について、証している部分です。洗礼ヨハネは、メシア降臨に先立ち遣わされた者であり、メシアの道をまっすぐにする使命を悟っていたことがわかります。
ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」
新約聖書/ヨハネによる福音書1章23節(新共同訳)
わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。
新約聖書/ヨハネによる福音書3章28節(新共同訳)
エリヤであることを悟れなかった洗礼ヨハネ
上記のとおり、聖書には、メシヤ降臨の前にエリヤを遣わし、メシヤの道をまっすぐにする預言が記録されています。そして、洗礼ヨハネ自身も、メシヤの前に遣わされ、メシヤの道をまっすぐにする使命を悟っていました。
しかしながら、なぜか、洗礼ヨハネは、再臨のエリヤであることを悟ることができなかったようです。そして、彼は再臨のエリヤであることを否定してしまいました。
後に、洗礼ヨハネは、イエスをメシヤであることを疑うようになるとともに、ユダヤ人たちの不信も日増しに強くなり、ついには、イエスが十字架の道を行かなければならなくなりました。
〔参考・引用〕
日本聖書教会「新約聖書(新共同訳/口語訳)」/新日本聖書刊行会「新改訳聖書第三版」/統一教会「原理講論」