邪心 本心 良心の呵責 不幸

ドストエフスキー
「罪と罰」
主人公ラスコーリニコフは貧しさゆえに、大学を中退し、お金にしか関心のない質屋の主人の老婆を殺害します。自らを悪人を懲罰した崇高な人間と考えた彼でしたが、殺害後、罪の意識ゆえに苦しみ自首するようになります。ラスコーリニコフは老婆を殺害するという究極の選択をしました。悪人を殺害することは善だと思いながらも、結局は自らが悪そのものになってしまったことに気づき、罪の意識に悩まされるようになったのです。ラスコーリニコフの自首という選択は難しい決断であり、刑罰も受けなければなりませんが、結果的に彼の心は喜びと幸福、そして自由を手に入れるのでした。
〔参考・引用〕
tongilgyo koreaさん
youtubeより

邪心から生じる不義なる欲望

邪心から生じる不義なる欲望

(こちらの記事は前の記事からの続きです。)

このように私たち人間には、つねに、邪心(悪い心)が付きまとっています。日常の生活の中でも、家庭内でも、会社でも、また、国家の動向を左右する政治の舞台でも、それらを担っている人たちの持つ邪心から「悪の欲望」が生じ、ときにはそれをコントロールできなくなり、犯罪が起こることがあります。

犯罪は、世の中を乱し、自分だけでなく、さまざまな人を「不幸」にしてしまいます。そうならないように人間が自らルールを作り、「悪の欲望」を抑止して、悪の蔓延を阻止しようとするものが「法律(刑法)」と言えるでしょう。

邪心から生じる「悪の欲望」は、人の道にはずれるため「不義なる欲望」と呼ばれます。今の自分の立場や身分、経済力、財力などに満足できないために生じる「過分な欲望」です。

「悪の欲望」すなわち「不義なる欲望」をコントロールできなくなると、自分の立場を離れ、身分や使命を忘れてしまい、欲望を満たすための手段を選ばなくなります。「不義なる欲望」が求める対象は、お金や物品、肉体など物質世界(※)に偏っています。

※「物質世界」の対義語は「精神世界」です。

例えば、自分の稼ぎに満足できず、過分な利益を求め、金品を盗んだり、強盗したり、自分を守るため、嘘をついたり、偽証したり、他人に暴力を振るったり、殺人をしたり、自分の妻や夫に満足できず、自分の立場を離れて、不倫をしてしまうことなどが挙げられます。特に、性に関わる問題は、殺人事件を起こすほどの大きな問題に繋がってしまうことが、しばしば起こります。


不義なる欲望が満たされると葛藤が起こる

しかし、「不義なる欲望」が満たされても、幸福になることはありません。一時的に得をしたように感じ、幸福感や満足感が生じたりしますが、それらは、すぐに消えてしまいます。

その理由は、犯罪を犯した悪人と呼ばれるような人でも、人間の心の中には本心(良心/善)が存在し、本心は「不義なる欲望」により得られた結果には満足しないからです。むしろ、本心と邪心との間の争い「本心(良心)の呵責(かしゃく)」が起こり、自責の念にかられ、苦しむようになるのです。

不義なる欲望が満たされても、後悔したり、良心の呵責に悩まされる

不義なる欲望が満たされても幸福にはならず、後悔したり、良心の呵責に悩まされる


ユダの自殺

イエス・キリストの12弟子の一人にユダ(イスカリオテのユダ)という人がいました。「ユダ」は今でも裏切りものの代名詞になっています。イエスを裏切り、殺害をたくらむ反イエス派に銀貨30枚(※)でイエスをひきわたしてしまったからです。その後、ユダは後悔して(本心の呵責が起こり)自殺してしまいました。

ユダの自殺(出典:wikipedia)

ユダの自殺(出典:wikipedia)

そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。

新約聖書/マタイによる福音書27章3節~5節(新共同訳)

※銀貨30枚は、当時の奴隷一人あたりの平均的な代価と言われています。

イスカリオテのユダは、イエスの弟子のときには、イエス一行の財務担当者に任命されるほど信頼があったようです。他の弟子から見れば、ユダが裏切り者になろうとは思いもしないことだったでしょう。

そのような信頼の厚いユダでも心の中に邪心がありました。ユダに「不義なる欲望」が生じ、いつしか盗人になってしまったのです。聖書の中には、お金を預かっていながら、ごまかしていたことが記録されています。

聖書の中のユダに関する記録は、人間誰しも「邪心」を持っており、何かのきっかけで「不義なる欲望」が顕現し、犯罪を犯してしまう可能性があることを諭してくれているのかも知れません。


〔参考・引用〕
日本聖書教会「新約聖書(新共同訳/口語訳)」/新日本聖書刊行会「新改訳聖書第三版」//株式会社カンゼン「聖書の人々 完全ビジュアルガイド」